Tear's Heaven

 「ユースタス屋ァ」
 
 突然ふらりと甲板に現れた男は、二年前の軽装が嘘のように分厚いコートを着て所在なさげに突っ立っていた。
 相も変わらず人を食った様な笑みを浮かべたその顔と此方を見下すような色をした瞳を見て、キッドは嫌な顔をする。
 
 「二年ぶりの再会だっつうのに、大した挨拶も無しか」
 「挨拶ならしたぜ?」
 
 くいっと示される彼の背後の覗き込み、船に面した陸地に仲間たちのパーツが転がっているのを発見して、情けないやらイラつくやらで複雑な心境にひとつ息を吐く。
 
 「…………ちゃんと戻せ。流石の俺も、仲間に手を掛けられたんじゃあタダでおかねえ」
 「怖い怖い、言われなくても戻すっつうの…………"ROOM"」
 
 ひょいと掲げられた右手の指に誘われて、二年前よりも随分と領域を広げた"手術室"の中で人体のパーツは宙を舞い、先程までもがいていた幾人か分の四肢が引き合わせられる。
 仲間たちが元の形を取り戻すのを見届けたキッドはもうひとつ息を吐いた。
 
 「それにしても何だ、急に来やがって。驚くだろ」
 「フフ、それにしてもすげえ傷だな、ユースタス屋」
 「…………人の話を聞かねえのは相変わらずか…………」
 
 二年前。
 シャボンディ諸島を離れてから暫くは、互いに電伝虫で連絡を取り合ったり、上陸先が重なれば逢瀬を楽しむこともあった。
 しかしそれらはすぐにぱたりと頻度を落とし、電伝虫さえ繋がらなくなったその日は記憶に浅くない。
 
 以来風の噂に彼の海賊団に関する話は幾らか耳にしたものの、取り立てて彼の動向を探る様な真似をしたことはなかった。
 無論気にならなかったといえば嘘になるが、別段他の海賊団の動向を気する訳で無いキッドにとってそれらはただ噂の域を出ない情報でしか無かった。
 そしてまたそれが例え真実であったのだとしても、その末にキッドが取る行動に然したる変化がある訳でもなかったからだ。
 
 例え新世界に浮かぶ船がひとつ潰れたというその噂が真実であった所で、ワンピースを目指す航路に波の一つが増える訳でもないだろう。
 
 ローが七武海入りしたと知った時は流石に驚いたが、さして興味を引かれる話でもなかった。
 そもそもそれとて、ただ漫然とキラーの零す情報の糸に耳を傾けているうちに耳朶に滑り込んだ事実の一遍でしかなかったのだ。
 
 「七武海になったんだってな」
 「何だ、知ってたのか。ユースタス屋」
 「あれだけ騒がれりゃあ、嫌でも耳に入る」
 「フフ、有名人だな、俺」
 「…………命令されるのは、嫌いなんじゃなかったのかよ」
 「…………なァ、ユースタス屋」
 「何だ」
 「頼むからさ。ユースタス屋は、そのままでいてくれよ」
 
 柄にも無く殊勝な言葉とがらんと音を立てて倒れた長刀に驚く暇も無く、首元に巻き付いた細い腕にキッドは暫し瞠目する。
 久々に感じる相変わらずの低体温と初めて感じる毛皮の暑さに息を詰めると、耳元でローは囁いた。
 
 「知ってるか、ユースタス屋」
 「何を」
 「弱ェ奴は、死に方も選べねェんだぜ」
 「…………それが、どうした」
 「俺は、さ。仲間と旅をして、ワンピースを見つけられりゃそれで良かったんだ。世界の理なんざ、俺の前にゃ無意味だと思ってた」
 「…………」
 「場所を変えなきゃ…………見えねぇ景色もあるんだって、気付いたときには、もう遅かったんだ」
 「…………俺はてめえ程頭が良くねえからな。てめえが何を考えて、一体何をしたいのか見当もつかねえが」
 「…………」
 「俺は、弱くなんてねえ。だから、てめえに心配される義理もねェよ」
 
 きゅっと強くなる力を感じ、細い腰に手を回してそのまま身体を引き寄せた。
 心臓の鼓動が厚い布地を通じて確かに伝わり来るのを、安堵する訳でもなくただ無為に感じる。
 ああ、こいつは今生きているんだと、当たり前の事実が酷く不思議だった。
 
 「…………フフ、自分で自分を馬鹿呼ばわりしてやったら、そこで終わりだぜ?」
 「…………てめェ、俺が散々頭を振り絞って掛けてやった言葉に対する礼はなしか、え?」
 「え、何。慰めてくれてた訳?ユースタス屋が?俺を?」
 「なっ」
 「言葉を返すようで悪ィが、生憎てめェに慰められてやる義理は持ち合わせてねェぞ?キッド」
 「てめ…………」
 
 はたとその語尾に違和感を覚えて、振りかぶった拳を降ろすこと無く止める。
 掴みあげた胸倉をそのままに深く被られた帽子の鍔を覗きこむと、澄んだアイスブルーの瞳は何処までも空虚を映して、自分を嘲笑っていた。
 
 「飽きた」
 「は」
 「やっぱりユースタス屋じゃ駄目だなァ。憂さ晴らしにもなりやしねえ」
 「てめェ…………」
 「バラして命乞いでもさせてやろうかと思ったけどよ、興が削がれた。帰るわ」
 「…………何処に」
 「…………おれの、還るべき場所」
 「…………」
 
 ひらりとコートの裾を翻して此方に背を向ける痩身を引きとめることも叶わずに、キッドは零れる様に呼びかけた。
 
 「おい、トラファルガー」
 「何だ」
 「…………死ぬなよ」
 「…………お前を殺すのは俺だ、ってか?」
 「お望みなら、地の果てまででも追いかけて行ってやる」
 「怖ェなあ」
 
 くすくすと笑いながら可愛げのない科白を口にするも、不敵に歪んだその口の端には泣きそうな色が見えて、二の句を告げなくなる。
 
 「じゃあな、ユースタス屋。元気でやれよ」
 
 無造作に振られた片手に刻まれた五文字のアルファベットが黒影に泥んで、呆れるほどの不安が煽られるのを抑える術をキッドは未だ知らなかった。



 2012.03.28.
 
 662話…………最初は、スモーカーさんに十手で刺されそうになって焦るローさんかわいーとかぼんやり思ってたんですが…………ね…………たしぎちゃんへの発言といい、スモーカーさんへの発言といい、ローさんの暗い部分が見えた回だったような気がします。これほんとハートの海賊団全滅とかありえるんじゃねえの…………ベポたん…………ペンさんもシャチたんもジャンバールも…………ね…………
 ローさん単体で敢えて海軍サイドに潜り込んで、何かを探ろうとしている感も見受けられますけれども。スモーカーさんに「お前らは何を企んでる」とか言ってる辺りからして。
 それにしても"白猟屋"呼ばわりを忘れて"スモーカー"と呼んでしまった辺りにローさんの余裕の無さを感じたんですが、深読みしすぎでしょうか。
 
 …………そして七武海に入った経緯がますます気になる所。
 あれだけ命令されるの嫌いだったローさんが七武海に入った心境。取るべきイスは必ず取るって言ってたけど、目的の為には手段を選ばない、プライドさえ捨てるって、なんかちょっとローさんぽくないなあ、とか…………二年の間に一体ハート一家に何が…………
 
 それにしても、"メス"ですか。まんまですけどまんますぎて鳥肌立つよ船長…………傷一つ追わずにスモーカーさんの心臓すっぱ抜いちゃったよ…………何この人強い…………ローさんマジ無敵じゃねえの…………ケムリンに勝っちゃったもんなー…………
 
 そうそう、661話の"最悪のルーキー"の総称に非常にもえました11人の超新星!さっすが!