ENEMY

 があんと大きな音を立てて、細い背がブラインドに叩きつけられる。
 
 「フン…………頭で勝てないとなると暴力に出るか。ほとほと単細胞な奴だ」
 「…………」
 
 ネクタイをぐいと掴んで引き起こすと、僅かな距離を隔てて口の端がにやりと持ちあげられた。
 眼鏡の向こう、隈の馴染んだ目元は、何処までも侮蔑の色を浮かべている。
 
 「殴るか?叩くか?好きにすればいいが、その後の事に関して俺は責任なんて持てないぜ」
 
 この状況に置いて未だ余裕を手放さない男の態度が酷く癪に障った。
 そのまま再び押し倒し、ぐいと襟を肌蹴る。
 てっきり顔を殴られるか、はたまた腹に蹴りでも入れられるものだと思っていたローは少し驚いた。
 同時に、キッドが何をしようとしているのか見当もつかず、苛立ちは募るばかりである。
 そもそも力でねじ伏せられたこと自体決して愉快とも言えないのに、ましてその相手が出来の悪い部下なのだからその度合いも計り知れないというものだ。
 
 「…………何をしてる」
 
 首に掛けられた手が緩み、鎖骨を撫ぜられる。
 不可解な行動に相変わらず眉を潜めたままにその紅い髪を睨みつけていると、不意に視線が交差した。
 
 暗い炎を灯した、深い深い緋の瞳。
 その瞬間、ローはこれから自分の身に起ころうとしていること、そしてキッドが何をしようとしているのか、全てを了解する。
 ざっと、血の気の引く音がした。
 
 「てめえ、やめろッ!」
 
 ぞんざいに掴む腕を振り払い、右頬にストレートをお見舞いする。
 しかしその渾身の一撃は見事に虚しく一周り大きな掌で殺されてしまった。
 こんなことならもう少し学生時代、真面目に体育を受講しておけばよかったと空回りの後悔をしてから、空いた右足を思い切り蹴り上げる。
 
 「大人しくしてろ」
 
 努力の甲斐も無く再び抑え込まれ、壁際に追い詰められたローはひゅっと音にならない息を飲んだ。
 刹那、薄い唇が相手のそれで塞がれて、言論の自由を奪われる。
 
 「――――ッ、て、めえ」
 
 無理矢理な口付けの間に僅かな抵抗を見せると、ぐいと後頭部が掴まれて強く唇が食まれる。
 そのまま割られた歯列の間から舌の侵入を許し、思うままに口内を蹂躙させるうち抵抗する気力すら奪われて行くのを感じた。
 
 「…………っは、ん」
 
 かしゃんと、眼鏡の落ちる音がする。レンズが割れてしまったかもしれないと淡く思う一方で、脳髄は痺れ、呼吸がままならない。
 本当ならすぐにでもその厚い胸を突き飛ばし悪態の一つでも付きたい所なのに、それどころか行き場を失った両手は確りと相手のシャツを握りしめ、立たない腰がその逞しい腕に引き寄せられているのが現状だ。
 伝い落ちる唾液と共に、自分のものでないかのような甘い喘ぎが耳朶に響きやるせない気分になった。
 
 「んッ、ふ、あ、」
 
 銀糸が艶めき唇の間を伝って落ちる。
 漸く解放された頃には既に酸欠で力も入らず、必然その胸に身体を預ける格好となった。
 死ぬほど嫌だと理性は警鐘を飛ばしているのに、身体が言うことを聞かない。
 
 「…………エロい顔」
 
 さらりと髪を撫ぜる手が嫌味な程優しくて、生理的な涙に別種のそれが混ざるのが分かった。



 2011.09.30.