邂逅

 夜は様々な姿を見せる。
 明るいネオンに輝く街、暗い森に呑まれる闇、仄かな灯りに揺らめく路地裏。
 今歩いているのは三者のうちで言うなら紛れもない後者の領域で、とはいえ怪しげな密約の転がるややこしい所では無く、単に閑静な酒屋の立ち並ぶ街道だった。
 
 ひとりで街へ出るのはいつ以来だろう。
 船に乗る前はそんなことをしている余裕なんてなかったし、乗ってからは乗ってからで一人になる時間なんて殆ど無かった。
 いつも船員に囲まれ、船長に遊ばれ、にぎやかな日々だ。
 今日はいつも一緒に居る同輩が不寝番で、他に親しい者も出歩きより就寝を選んだ。それ故に、一人だった。
 
 皆と馬鹿騒ぎをするのは好きだ。
 けれど同時に一人思い沈む時間と言うのも好きで、要するにこの状況に不満がある訳では無かった。
 ただ少し、何故かしら少しだけ心淋しい気もして、けれどそんな雰囲気には蓋をして、静かな夜を歩いている所である。
 
 
 不意に視界に、人の影が映る。
 腰まで届くかと言った体の金糸を夜風に靡かせ、その人は歩いていた。
 足取りは覚束もので、どうやら酒明けの酔っ払いという訳ではなさそうだ。
 
 ふと顔を上げると、空色の瞳と視線がかち合った。
 別に髪が長いから女性と思っていた訳ではないのだが、男性であることに酷く驚く。
 否、驚きはその性故では無いのだろう。
 その造作が酷く整っていて、性差を越えたものであることに少しの意外を感じたから、と言った方が何故かしっくりと来る。
 
 「…………先程から、視線を感じていたのだが」
 「ああ、すまない」
 
 見目に反して低い声で問うその様子に不審なところは無くて、警戒に尖らせていた身体の何処かの力を抜く。
 
 「お前…………」
 「え?」
 
 唐突に今度は見つめられる番となり、じろじろと向けられる目にすこしたじろぎながら疑問符を投げると、男はやがて納得したように、しかし未だ引っかかりを落としきれない声色で尋ねた。
 
 「ひょっとして、クルーじゃないか、ハートの」
 「あ」
 
 ばれた。
 今日はいつもの帽子を被らず、つなぎをも脱いで完全な私服で歩いているから、気付かれることは無いと勝手に思い込んでいた。
 別に隠していた訳でも、隠そうとしていた訳でもないのだが…………気付かれたとなると、何となく決まりが悪い。
 得物も最小限しか持ち歩いていないものだから、相手が賞金狩りだったら少し厄介だなあとペンギンは脳裏の片隅で考えた。
 
 「俺を知っているのか」
 「知っていると言うよりは…………まあ、知っている、のか?」
 
 お前も俺を見たことくらいはあるはずだが、と返されて、今度ははてと記憶を探る作業に手を伸ばす。
 近しい者にこれ程の麗人がいれば間違いなくすぐに思い出す筈だし、となると、その長い金髪を手掛かりにした方が良いだろうか。
 しかし数瞬考えても、思い当たる節はなかった。
 
 「悪いが、俺はお前に会ったことが無い、と思う」
 「それは無いと思うが…………ああ、そうか」
 
 くすりと笑い困ったような顔を浮かべた自分へ、ますます困惑した表情を見せる自身にペンギンは気付いていないようだった。
 ただ眉間の皺がどんどん深くなるので、刻まれたまま消え無くなったら大変だと思い早に素性を明かす事にする。
 
 「キラーだ。キッド海賊団の」
 「え」
 
 そう言われると、あの奇怪な仮面の下に納まりきらない髪は金色だったかもしれない。
 けれど仮面の印象が強すぎて、正直髪や服装にまで注意が及んでいなかった。迂闊だ。
 
 だがそれにしても。
 
 「あんたが、あの殺戮武人だって?」
 「如何にも。生憎得物は持ち歩いていないから、証明できるものは特に無いが」
 「いや、信じない訳じゃないが…………そうか…………そういう理不尽も世の中にはあるんだな…………」
 「?」
 
 あの仮面の下には人に見せられぬほどの醜面があるか、はたまたおぞましい傷跡が、それとも人外の頭蓋が乗っているのだ。
 というのがシャチとペンギンの導きだした勝手な憶測だったので、まさか真実がその裏の裏、そのまた裏の斜め上132度を行くとは思ってもみなかった。
 
 「一人なのか」
 「ああ、今日は生憎。そっちもか」
 「ああ」
 
 少し気まずい沈黙が流れた。
 直に刃を交えたことこそないが、違えても相手は敵船のクルー、しかも億越えのルーキーだ。
 自分こそ幾許かの賞金を掛けられた首ではあるが、それにしても格が違いすぎる。
 戦場ではないと言えども、そんな相手と対一で対峙しているのだ、緊張を抜けと言う方が無理な話である。
 
 「なあ」
 「?」
 「良ければ、その」
 「なんだ?」
 「あー…………飲みに行かないか?二人で」
 「え」
 
 予想外の誘いに、ペンギンの頭の中は白黒と翻った。
 誰が、誰と酒を飲みに行くだって?
 
 「い、嫌ならいいんだ。否、別に敵船の内情を探ろうとか、そういうわけじゃなくてだな、その…………」
 
 此方が黙り込んだと同時に矢鱈とあたふたしだしたそのらしくない姿を見て、ペンギンはまたも単色を持てあます。
 冷酷非道の殺戮武人にもこんな一面があるのか、はたまた…………仮面を取ると人格が変わるとでも言うのだろうか…………
 
 「ふ」
 「?」
 「いいぜ、どうにも今のあんたは武人らしくない。街で出会った気の合う友人としてでも飲みに行こうじゃないか、"キラー"?」
 「!」
 
 その名を口にするのは初めてで、また今後口にすることも無いと思っていた。
 自然に滑り出たその言葉に自分でも驚いていると、それ以上に呼ばれた相手の脇には星が降っているように見えた。
 
 「良いのか?」
 「嫌なら俺はこのまま帰る」
 「い、嫌な訳あるか!…………何か、口説き下手な男みたいだな、俺」
 「ふふ、調子良く口説かれてやるよ。よろしく頼むぜ?」
 「ふ…………じゃあ、行こうか?"ペンギン"」
 
 旧きの友人よろしく並んで歩くと、僅かに金糸の目線が己のそれより高い事に気付いて、少し面白くなかった。



  11.09.09.