アンダーザフェイス

 「ペンギーン、これって、倉庫に持って行けば良いんだよな?」
 「ああ、そうしてくれ」
 
 船工具を持ったシャチが甲板の端で大手を振っているのを見て、ペンギンは声を上げる。
 その様子をじっと見つめるローの背後では、気持ちよさげにベポが眠っていた。
 宛ら等身大のシロクマクッションと化したそれを椅子替わりにもたれかかるローに、ペンギンが近寄る。
 
 「船長。粗方出航の準備は出来ましたけど…………今日、出ますか。すぐに」
 「あー…………」
 
 何処か上の空なローにペンギンは問う。
 別段急く必要はないのだが、只でさえ気ままな船長の予測不可能な行動によって幾日間も停泊を強いられている他のクルー達がそろそろ平穏すぎる日々に飽きを感じ始めている頃だ。
 暇を持て余した彼らの為を思えば、少しでも彼の気を急かせることが出来れば良いのだがと、ペンギンは考えている。
 
 「…………」
 「船長?」
 「来たな」
 
 よっ、という掛け声と共に立ち上がるローの前、ペンギンの後ろに一つの影が降り立った。
 とさりという軽い音に振り向くと、途端に視界が反転する。
 
 「いいんだな、トラファルガー」
 「ああ、連れて行ってくれ」
 「は?!」
 
 逆さになった世界の端には、痛んだ金髪がのぞく。
 勝手に進められる会話についていけないでいるペンギンを残して、毛皮の帽子とひとつ目くばせをした仮面の影は来た時と同じように突如として飛び上がった。
 
 「ちょ…………キラー?!」
 「黙っていろ。お前に拒否権は無い」
 「そうだ、キラー屋。そいつ連れて行く代わりにユースタス屋にこっち来るように言っといてくれよ。どうせお前が動けないんじゃ、そっちも出航できないだろ」
 「…………了解した」
 
 靡く鈍金と不安定に揺れる黒耀を青空に見送って、漸く肩の荷が下りたとローはひとつ溜息をついた。
 
 「あれ、ペンギンは?」
 「んー…………強制療養?」
 
 荷を降ろして此方に遣って来たシャチに事もなげに答える。
 言葉の意味を図りかねている部下に苦笑を投げて、そういえばと言い忘れていたことを伝える。
 
 「あ、さっきお前が運んでた工具。倉庫じゃなくて船長室だから」
 「え?でもペンギンが倉庫だって」
 「あいつだって、間違うことくらいある」
 
 何が可笑しいのか、フフと小さな笑いを洩らすローを見て、シャチは不思議そうに首をかしげた。
 
 
 +
 
 
 「っ!」
 
 何が何だか分からないままに連れ込まれたのは、あろうことか敵船内の一室。
 殺風景な、必要最低限の荷物しか置かれていない部屋の隅、ベッドの上へ乱暴に放り出されたペンギンは開口一番大きな疑問符を投げた。
 
 「一体何なんだ?!急に抱えられたかと思えば、人の言う事も聞かずに、挙句船にまで連れ込みやがって」
 「何だ、とは此方の科白だ」
 
 仮面に遮られて表情は見えないものの、確実に不機嫌な声色を出して低く言うキラーにペンギンはびくりと肩を震わせる。
 
 「真坂無自覚だと言う訳じゃないだろう」
 「何が」
 
 膝をついて合わせられた視線、ぱさりと帽子が落ちた。
 額に当てられた手が嫌に冷たくて、しかしそれ以上の心地良さを以てペンギンに襲いかかった。
 そのままするりと頬を撫でられるが、それがまた快く自然と瞼が下がるのを感じる。
 
 「…………そんな高熱を放っておいて、まともな船上業務が出来るか」
 「…………」
 「別段今朝からのことではないんだろう?少なくとも三日前……街中で擦れ違った時には既にだるそうな目をしていたが」
 「…………気付いてたのか」
 「当り前だ。俺が気付かないとでも思ったか…………トラファルガーにしてもそうだぞ。あいつは気付いていながら、忠告なんて聞きやしないお前をどう休ませるか考えていたそうだ」
 「…………いつの間にコンタクト取ってたんだよお前ら…………」
 「…………お前の船長が夜な夜な何処へ出掛けているか、知らない訳ではあるまい?」
 「…………」
 
 ああそうか、キッドを介してか…………と、気付くペンギンの思考回路は相も変わらず熱に浮かされたようにぼんやりとしていて。
 気力だけで持たせていた数日が嘘のように崩れ、坐することも苦しい身体は前方へと傾いだ。
 
 「…………っと」
 
 ふらりと倒れ込んだペンギンの身体を咄嗟に受け止め、そのまま熱い身体を抱きしめる。
 空元気を取り去って虚勢を崩してやることがキラーの役目であるので、それが達成された今、直ぐにでも治療の出来る敵方の船へ運んでやるのが良いかもしれない。
 
 「…………」
 
 膝下に手を差し入れ、予想だにしない軽さのペンギンを抱き上げた所で、キラーははたと気付いた。
 先程、言伝を受けたキッドが向かったのは何処だった?
 
 「…………」
 
 やれやれと言った体で屈みこみ、取り敢えず捲り上げた布団の上に痩身を寝かせる。
 心配で心配で堪らなかったのはキラーも同じことなので、効果的な治療は出来ない物の少し位傍で看病をする位の権利は与えられても良い筈だ。
 それに、自然現象とはいえこれ程に扇情的な顔をした恋人を他人の視線には晒したくない。たとえそれが医者であっても。
 張り付いた前髪をはらし、うっすらと汗ばんだ額を拭ってやりながら、そこまでを見越し伝言を持たせたトラファルガーという男の得体の知れ無さを改めて実感する。
 
 「…………早く、良くなれよ」
 「ん…………」
 
 うっすらと開いた瞳に髪をかき梳いてやると、意識か無意識か朗らかな顔つきになったペンギンに微笑が零れる。
 
 「…………暫くそこで寝てろ。今、濡れ布巾か何かを持って来てやるから」
 
 苦しそうな襟元を少し寛げ、優しく声を掛けると微かに頷く気配がした。
 しかしそのまま立ちあがろうとしたキラーを引きとめた科白は、正に想像だとしない物で。
 
 「き…………らぁ」
 「ん?」
 「…………に」
 「何だ?」
 「…………傍に、居てくれないか」
 
 人と言うのは病に落ちると途端に弱気になると言うが、まさか目の前の、冷静と寡黙を具現化した様な、愛のひとつも知らぬ様な男の口からそんな言葉が発される日が来るとは思わなくて。
 数秒置いて激しく赤面するキラーを他所に、服の裾を掴んで離さない恋人は甘えるような目をする。
 
 「…………そう、素直になってくれるな」
 「…………?」
 
 がしゃんと音を立てて落ちた仮面を気にする余裕などなく、静かを装って額へと口づけるキラーにペンギンは蕩ける様な笑みを返した。



  2012.01.15.