黒に酔う碧

 「お前は、トラファルガーのものなんだな」
 
 ぎしりと軋むスプリングの上でぽつりとキラーが漏らすと、少し驚いた様にペンギンは言った。
 
 「当り前だろう。何を今更」
 「いや…………」
 
 白い肌に刻まれた刺青の色に眉を顰めると、やれやれといった体でペンギンはふいとつ息を吐いた。
 
 「俺の身体も、命も、心も、全て船長のものだ。ハートのジョリーロジャーをこの背に追ったその時から、その事実は絶対で、変わることはない」
 「…………」
 「船長が死ねと言えば俺はいつでも死ぬし、この命であの人の何かを贖えるなら、喜んで刃を滑らせる」
 
 この身に、そう言ってペンギンはなぞる様にキラーの頸動脈に指を沿わせる。
 その手を捉えて指先に口付けを落とすと、くすぐったそうにペンギンは身を捩った。
 
 「…………俺はキッドと行動を共にしているし、紛れも無くあいつを頭と定めてはいるが、あいつの所有物ではないからな」
 「そうなのか」
 「ああ。死ねと言われれば真っ先にその理由を問うし、それが正当じゃなかったら間違いなく反論を述べるだろう。無論見限る気は無いが、歪んだ回路を正すくらいのことはしてやるかもしれない」
 「…………お前にとって、ユースタスはどういう存在なんだ?」
 「…………仲間、あるいは同士。勿論大前提として奴は族団の船長だが、だからといって必ずしもその命令が絶対な訳じゃない」
 「そうか…………」
 「…………」
 「船長は、俺にとっての世界に等しいからな」
 「世界?」
 「そう。俺の世界の中心にあるのは、太陽でも月でもなくて、トラファルガー・ローという一人の男だ。太陽は東から昇り西へ沈む。世界の理が絶対であるように、あの人の言葉は俺にとっての真理に等しい」
 「ほう」
 
 慈しむように言葉の一つ一つを絞り出すペンギンの目が、目の前の自分ではなく何処か遠くを見つめていることが少し面白くなかった。
 
 「船長は俺達クルーにとって紛れも無く"仲間"だが、同時に"神"でもあるのかもしれない」
 「…………それはまた大それた発想だな」
 「なんてったって、船長だからな。ユースタスがいなくなってもお前の世界は壊れないのかもしれないが、船長がいなくなれば俺の世界は壊れるよ」
 
 それはもう、完膚なきまでに。
 くすくすと微笑みながら、ペンギンは言った。
 
 「だから、この刺青を所有印のようだと感じるお前の感覚は強ち間違っていない」
 「…………気付いていたのか」
 「仮面を付けていてもお前が何を考えているかくらい分かる。外しているなら余計だ」
 「…………それは恐れ入る」
 
 不敵に微笑んで、キラーは腕に走る刺青に少し爪を立てた。
 がり、と引っ掻くと、滲むように紺碧の肌の下から紅い液が零れる。
 
 「…………なら、この青を全て削り取れば、お前は俺のものになるのか?」
 「さあ?やりたいならやればいいが、少なくとも俺はお前に俺をくれてやるつもりは毛頭ないから。それだけは言っておくよ」
 「…………俺は、お前のものになることなんて全く厭わないのに」
 「…………俺がお前にやれるのは、僅かな時間と、僅かな快楽と、僅かな独占欲だけだな。そして最後者に関しては満たしてやることなど絶対に無い」
 「相も変わらず分かった様な事を言う奴だな」
 「何?」
 「別段お前から差しだされずとも良いさ。海賊たるもの、欲しいものは差し出されずとも力ずくで奪う」
 
 反論を跳ね返して、中途に開いた唇を塞ぐ。
 睨みつける様な目はやがて薄い瞼の下に仕舞われて。
 絶壁の黒が頬を擽るのが。逸る気を無為に反らせるのだった。



 2012.02.12.