飛べない海鳥、堕ちた空

 がちゃりと鍵の開く音がして、びくりと肩を震わせた。
 続いて扉が薄く開かれる様な、小さな音がして、その気配に息を殺す。
 
 「気分はどうだ」
 「キ、ラー…………」
 
 耳に馴染んだ声にほっと胸を撫で下ろして、ペンギンは漸く扉の方を向く。
 トレイに湯気の立つ食事を乗せて扉を潜ったその人は、酷く満ち足りた顔で此方を見ていた。
 
 「夕食だ」
 「…………腹、減ってないんだけどな」
 「食事時には無理にでも何か食え。身体のリズムが狂うだろう」
 「ん…………」
 「夜はちゃんと寝ているか?」
 「寝てるよ。別にすることも無いから、起きていても退屈だし」
 「そうか」
 「…………」
 「…………」
 「なあ、キラー」
 「何だ?」
 「…………いつまで俺は、此処に居れば良いんだ?」
 
 暖かなベッド。
 十分な食事。
 着るものにも困らない。
 部屋の隅に置かれた机の引き出しを開ければ、十分な金銭も入っている。
 
 けれど、この部屋には窓が無い。扉も、外からの施錠しか出来ない、小さく厚い一枚のみ。
 時間を知らせるのは日に三度、食事を運んでくる彼の訪問だけで、時計も無いこの部屋は世界から取り残されている。
 もう随分と朝日を拝んでいない。月の冷たい光を、浴びてもいない。
 
 白い調度、白い壁、白い床、白い空。
 この世界において、黒の自分は、不思議の国に迷い込んだアリスでしかなかった。
 
 「怖いんだ」
 「…………」
 「ぼうっと佇んでいると、不意に視界の端を何かが横切るんだ」
 「…………」
 「防音の施されているこの部屋にいちゃ、外の音なんて聞こえない筈なのに、時折誰かがこそこそと話している音もする」
 「…………」
 「さっきなんか、扉が開く音がしたから慌てて振り向いたのに、隙間も何も開いてなくて」
 「…………」
 「誰かが俺を呼ぶような声も聞こえるんだ。この部屋には、俺しかいないのに」
 「…………」
 「なあ、キラー」
 
 緩慢と焦燥と、寂寞と充足を浮かべた瞳は、切なげに揺れている。
 縋りつくようなその声に幾許かの狂いの音を確かに聞き取って、キラーは無感動に目を細めた。
 
 「お前は、此処に居れば良い」
 「キラー…………?」
 「此処に居れば、俺はお前のことを守ってやれる」
 
 絶望を映すかのような暗い黒耀の目を覗きこんで、そっとその痩身を抱き締める。
 やがて背に腕の回される感覚がして、深く息を吸うその姿に目を伏せた。
 
 「…………すまない」
 「…………うん」
 
 さして富んでもいないこの心情を精一杯に込めた一つの謝罪を、彼がどう受け止めたのか知る術は無い。
 けれど諂う様に囁かれた了承の合図は、酷く歪んだ形で胸の虚白を塗り潰すようで。
 少し、肩を抱く腕に力を込めた。



 感覚遮断実験
 2012.02.18.