Good luck your way

 ざあざあと降りしきる豪雨の中をばしゃばしゃと駆け抜けて、ペンギンは通りに面した商店のひさしに潜り込んだ。
 
 「ふう…………」
 
 所謂"ゲリラ豪雨"という奴だ。
 先程まではからりと心地の良い快晴が広がっていたのに、気付けば暗雲が立ち込めて、ぴかりと空が光ったかと思えばバケツの水をひっくり返した様な雨粒に全身を叩かれた。
 むっとした噎せ返る様な熱気と湿度に不快指数は最高値で、水を吸った重いつなぎが体温と相まって酷く鬱陶しい。
 帽子を取って貼り付いた前髪を掻きあげると、右方から水の跳ねる音がして、ふいとそちらを見ればそこには先程の自分と同じように雨宿りを試みに来た
 
 「殺戮武人」
 
 がいた。
 
 「ハートのクルーじゃないか」
 
 きょとんとした様子で此方を見る彼の顔は相変わらず仮面に覆われていた。
 両手に武器も装備されておらず、殺気は嫌という程感じられなかったので、ひとまず警戒態勢を解いてペンギンはその姿をまじまじと見つめる。
 薄手のシャツはびっしょり濡れて、亜熱帯の気候に有って見目は酷く寒そうだ。
 豊かな髪は普段なら傷みに傷んだせいでぼうと膨らんでいるが、今は水を含んで情けなくしぼんでしまっていて、
 
 「…………猫みたいだな」
 「え?」
 
 ふわりとした毛が濡れてしまって貧相な体格が露わになった猫を想像してぷっと吹き出すペンギンに、キラーは怪訝そうな顔をして言った。
 
 「良く分かったな」
 「は?」
 
 疑問符を投げると同時に、何処からともなく「にゃあ」なんて声が聞こえてペンギンは訝しげな顔をする。
 
 「さっき、思わず拾ってしまったんだ」
 
 良く見ればキラーの腕の中には寒さに震えた真黒な子猫が居て、青い目を不安に染めながらふるふると蹲っていた。
 
 「どうしたんだ、それ」
 「彷徨う様に雨に濡れてたから、放っておけなかった」
 「…………飼うのか?」
 「真坂。バジル・ホーキンスでもあるまいし、海賊船で船を飼おうなんて馬鹿げたことは考えていない」
 「じゃあ、どうするんだよ」
 「放すさ。別段段ボールに入っていた訳でも無し、捨て猫ではないだろう。偶々野良猫が俺の目に止まっただけだ」
 「ふうん」
 
 止む気配の無い雨にふたりして暫し見とれていると、不意にがちゃり、なんていう場にそぐわない音がしたので、ペンギンは再び隣を顧みる。
 
 「…………良いのか?」
 「ん?」
 「仮面。ユースタスの前以外じゃ外さないとか、そういうルールがあるんじゃないのか」
 「いや…………別に?俺が被りたくて被っているだけだから。別段誰かに命令されている訳じゃあないし、被りたいときに被って、脱ぎたいときに脱ぐ」
 
 今は湿気が籠って酷く不快なんだ。にきびでもできたらどうしてくれる。
 そう言いながら頬の水滴を拭う素顔は、酷く澄んでいた。
 年の頃は自分と同じくらいだろうか。
 長い前髪に未だ表情は隠れたままだが、垣間見える水縹の瞳とケアを気にするだけの事はある白い肌は女に劣らず綺麗だ。
 髪とそろいの色をした睫毛は長くて、通った鼻筋と薄い唇は擦れ違う誰もを魅了するに違いない。
 顔面を横断するように走った醜い傷さえなければ。
 
 「…………その傷があるから、仮面を被ってるのか?」
 「そう言う訳でもないが…………まあ、コンプレックスになっていないと言えば嘘になる」
 
 苦笑する表情はやはり綺麗だ。
 無機質な仮面を取り去っただけでこんなにも人の印象と言うのは変わるのだとペンギンは改めて思い知る。
 何を考えているか分からない不気味なだけの男だと思っていたら、表情がひとつつくだけで何処にでもいる、否、普通よりかなりレベルの高い好青年というイメージがペンギンの中に出来上がってしまった。
 
 「お前こそ、普段は深く帽子を被っているのに…………勝手に脱いで良いのか?」
 「え?ああ…………別にこれだって、船長に無理やり被らされている訳でもないし」
 
 無論純粋な趣味で被っていると言う訳でもないが、かといって絶対に脱ぐなと命じられている訳でもない。
 
 「こんなに蒸すのに帽子を被り続けていては頭皮の危機になりかねん。それは避けたい」
 「はは」
 
 そんな話題とは無縁と言わんばかりの豊富な金髪をじとりと見てペンギンが言うと、キラーは力なく笑った。
 と同時に
 
 「くしゅん」
 
 なんていう可愛らしいくしゃみが笑顔を少し歪める。
 殺戮武人、なんていう物騒な二つ名に似合わない発見が今日は沢山あり過ぎて、浅くは無いペンギンの脳髄もそろそろキャパシティを超え気味だ。
 印象の上塗りが追いつかない。
 
 「…………このままでは風邪を引きそうだ」
 「全くだ」
 「船まで走って帰れれば良かったんだが、この雨では…………穴が開く」
 「仮面に?」
 「別段これ以上に視界の確保をする必要はないからな、って、違う。俺自身にだ」
 「…………意外に面白い奴だな、武人」
 「そう言うお前こそ、もっと堅物なのかと思っていたんだが、割合話せる奴だったんだな」
 「1億6200万の首にお褒めの言葉を頂けて光栄だよ」
 
 色々な話をした。
 ローの寝起きが悪いこと、シャチが洗濯物をすぐにひっくり返すこと、ベポの毛並みが見目以上にふわふわなこと。
 色々な話を聞いた。
 キッドの味覚が子供なこと、ヒートの髪はキラーが編み込んでいると言うこと、ワイヤーは見目に合わず気さくな奴であること。
 
 どれひとつとして敵船攻略に役立つ情報では無かったし、どちらかと言えば全く以てどうでも良い話題ばかりだったが、何故か終始そこには穏やかな空気が漂っていて不思議な気持ちになる。
 
 「雨、やまないな」
 「そうだな」
 
 口ではそう言いながらも、この不可思議な時間がもう少し続けば良いのにと、心の何処か片隅で密かにそんなことを考えている自分が居ることに気付いて少し顰め面をする。
 どうした、と尋ねられて、相変わらずの秀麗な面持ちに苦笑を返すとへにゃりとした笑みが浮かべられて、頭の芯が霞む様な感覚を覚えた。
 時折思い出したようににゃあと鳴き声をあげる猫を宥めるキラーの腕の中は酷く居心地が良さそうで。
 
 (…………俺は一体何を考えているんだ)
 
 そろそろ自分の思考回路が分からなくなってきた頃、漸く弱まった雨脚が立ち込めた雲の隙間に柔らかな日射しを取り込み始めた。
 
 「あ、虹」
 
 空気中の水滴が陽光を反射して七色の橋を空に架けたことを呟くと、隣に立ったキラーが眩しそうに目を眇めるのを感じる。
 
 「虹の根元には宝が埋まっているらしい」
 「え?」
 「キッドが教えてくれたんだ。虹の根元には素敵な物が埋まっているんだと」
 
 光の下で見る微笑みは、薄い色の髪と相まって酷く綺麗で、言いようも無く顔が火照るのをペンギンは感じた。
 
 「探しに行くか」
 「…………」
 「虹の根元まで、一緒に」
 
 す、と差し出された手を思わず取りそうになった矢先、
 
 「にゃん」
 
 とひと声鳴いた猫が勢い良くキラーの腕の中から飛び出して、
 
 「ぶっ」
 
 その顔面を大きく蹴り飛ばしながら濡れた道を走り去って行った。
 
 「…………だっせえ」
 「…………」
 
 引っ掻かれた訳ではないだろうから心配はしない。
 しかし顔を抑えてうずくまるその格好が先程とは比べ物にならないくらいに情けなくて、ペンギンは思わず軽い暴言を吐いた。
 
 「それに」
 
 虹に根元は無いぞ、と事もなげにペンギンが言うと、漸く顔を上げたキラーが信じられないことを聞いたと言わんばかりの顔で此方を見る。
 
 「虹ってのは、太陽の光が空気中の水分に反射してるのが七色に見えるだけなんだ。根元に向かって走ったとしても、反射する水分の位置とそれが七色に集まる所は移動し続けるんだから、目指し走っても永久に根元に辿り着くことは無い」
 
 分かるか?と問うと、キラーは複雑な顔をして俯いてしまう。
 その背はやはり殺戮武人なんていう大層な通称に似合うものでは決して無くて、少し憐憫の情を抱いたペンギンは付け加えるように口を開いた。
 
 「…………ま、解釈は人それぞれだがな」
 「え?」
 「海賊なんてのは夢を追うのが仕事だろ。それに此処はグランドラインも外れ、何があってもおかしくは無い魔の海だ。虚像を追った所で辿りつくのが必ずしも夢の果てとは限らない」
 
 手に持った帽子をぎゅっと被ると、鍔に遮られ虹は見えなくなってしまった。
 立ち上がったキラーの顔をも自分より少し高い所にあるので、必然その表情を見ることも出来なくなってしまう。
 
 「じゃあな、武人。暇潰しに付き合ってくれて有難う」
 「ペンギン」
 
 始めて呼ばれた名前に少し瞠目して歩を止めてしまったペンギンの背後から、キラーの声が聞こえる。
 
 「また、会えるか」
 「…………さあ?」
 「次、会えたら」
 
 そのまま押し黙ってしまったキラーの中に様々な葛藤と戸惑いが渦巻いているのを手に取るように感じて、ペンギンは仕方なしに言葉を吐いた。
 
 「雨宿りの続きと行こうか?キラー」
 「!あ、ああ…………!」
 
 胸中の言い表し難い感情がその肯定の相槌にすっと昇華したのを感じて、もう少し鍔を引き下げ誰にも口の端に浮かんだ笑みを見られないようにする。
 
 「次に会えたら」
 「虹の根元を探しに行こう」
 
 合言葉の様に紡がれた軽やかな世迷い言は、それでも澄んだ雨上がりの空気にふわりと馴染んで、きらきらとした空が少しの揶揄を含んで此方を見ている様な気がした。
 
 (いつかまた会えたときには、もっと上手く伝えられるかな)



 2012.05.29.