marine snow

 「時々、怖くなるんだ」
 
 薄闇の中ぎしりと音を立ててベッドから身を起こしたペンギンを、キラーは不思議そうに仰いだ。
 
 「勿論俺達は人だから、人として人を愛することは大切だ。けれど俺は海賊で、お前も海賊で。俺達は人である前に海賊でなくちゃいけない。そうだろう?」
 「…………」
 
 言葉の射す先を掴みあぐねて、キラーは沈黙を以て次を待った。
 
 「お前と出逢って経った時間は僅かだけど、その間に俺は様々な事を知って、様々な物を手に入れた。友愛や親愛とは違う何かを自分の中に招き入れるのは、最初こそとても不安だったけれど、許される心地良さを知った今じゃ躊躇いなんて何処にも無い」
 
 ふっと息を継いで、ペンギンは続ける。
 
 「けど時々、そんなお前の存在が、お前が俺にくれる色んな物がまるでそうあることが当然であるかのように俺の領域に溶け込んでいることに気付いて、怖くなる。お前が今俺の横に居るのは決して当然何かじゃなくて、向けられる温かい目は奇跡にも近いもので。そんなことは分かりきっている筈なのに、まるで息をしている様にお前という存在が自然過ぎる形で俺の心に居座っていることに時々気付くんだ。そんな時、たまらなく不安になる」
 「…………俺は、ペンギンを裏切ったりしないよ」
 
 手向ける言葉が上手く捕まえられなくて、当たり障りのない科白をキラーが口にすると、泣きそうな目でペンギンは言った。
 
 「俺達は海賊だ。海賊に不変や恒久なんてあってはならないし、ある筈も無い。今此処に在る光も、灯でさえも明日に続くかは分からない、そんな世界に身を沈めて、どうして変わらない愛を求められるというんだ?波風の立たない海なんて面白くもない、揺れる光の射さない海底を潜った所で得る物は何もない。常に変化を求めて先へ手を伸ばす。海賊とはそういう生き物だ。なのに時偶、隣に在る温もりをあたかも空気のように、そこに在ることに何の疑問をも抱かず受け入れている自分が居ることに俺は気付くんだ。そんな時決まって俺は、お前を失う未来を想像する。きっと世界から切り離されたみたいに、感覚は鈍って、音も聞こえなくなって、鎖された光に目を閉じているのか開けているのかさえも曖昧な海の底に、俺は沈むんだ。空気を失くした肺は悲鳴を上げて、息は凄く苦しくて。けれど身体は抜け殻のまま今までの俺を模し続けて、記憶だけを沈めたまま先の航路へ指を伸ばす…………そんな未来が来ることを、俺は心の何処かで知っていて、見ないふりをしている。けれど一番怖いのは、そのことを自覚している自分自身に気付いてしまったことなんだ」
 
 ぐるぐると渦を巻くようなペンギンの告白に、キラーは少し困った顔をして呟いた。
 
 「…………俺は莫迦だから、ペンギンの心を全て識ることは出来ないけど、群青に埋まったペンギンを見たなら、迷わず手を差し伸べて掬い上げてしまうと思うよ」
 
 例えそれが、虚ろな瞳をした物言わぬ骸であっても。
 例えそれが、己の手掛けた屍体であろうとも。
 
 「それに…………俺は、強いから。ペンギンより先に死んでしまう事なんて無いんじゃないかなあ」
 
 呆れた様な、けれど何処か翳りのある笑みが零した独白を耳聡く聞きつけたペンギンは、少し黙った後で吐き出すように言った。
 
 「お前なんか、深海魚の餌になってしまえば良いんだ」
 
 弧を描いた口元が嘘のように頬を滑る雫を指の腹で拭ってやりながら、小さく息を吐く。
 
 「全く、心を隠すのが下手な奴だ」
 「だから仮面を被っているんだろう」



 image by sukimaswitch
 2012.10.28.