夜枷噺の傍らに

 
 夜道。
 桟橋の上を歩いていると、不意に風が凪いだことに気付いて男は顔を上げた。
 
 いつの間に後ろを取られたのだろうか。
 肩越しの背に貼りつくようにして、和笠を目深に被った小柄な影が立ちつくしている。
 笠の内から垂れる薄絹のせいで人相は識別できない。
 それどころか、その曖昧な容姿のせいで性別すら判じることも叶わなかった。
 
 僅かに見える口元がに、と吊りあげられて、背に氷のようなものが滑り落ちる感覚がして。
 
 「お命、頂戴致す」
 
 言うや否や抜かれた刃は、月明かりを跳ね返し皮肉にも美しくに水縹に煌いた。
 
 「…………ちっ」
 
 思わず後ろに飛びずさり、両袖に仕込んだ隠し刀を構える。
 躱し切れない斬撃が目の前を横切って、鉄物がぶつかり合う澄んだ硬音と共に幾筋かの金糸が散った。
 影はそのままひらりと欄干へと飛び乗り、曇りの無い夜空を背にゆっくりと身を屈め――――
 
 
 
 「カットカットカーット!ペンギン、そこはもっと勢い良く飛ばなきゃ!」
 「そうは言っても、さっきお前が"流れるようにさらりと"って言ったばかりじゃないか」
 「それはその前のシーンだろー。ローさんも何とか言ってやってくださいよ!」
 「俺は知らねえ。つーか、何でうちの同好会の演劇にキラー屋が参加してんだ」
 「仕方ないでしょ、配役にピッタリなのが部にはいなかったんですから。お手伝いして貰ってるんですー」
 「フン、災難だったなァキラー屋。こいつのお遊びに付き合わされる羽目になって」
 「いや、俺は別に構わないが」
 「ちょっとローさん!お遊びって何ですか?!」
 「落ち付け、シャチ」
 
 ヒートアップするキャスケット帽をぱこんと台本の紙筒で叩き、抗議の声もそこそこにペンギンはキラーに顔を向けた。
 
 「本当にすまないな、時間を取らせて」
 「いいんだ。俺も自分の練習時間以外は暇だから。クラスの手伝いに行く気にもならないしな」
 「そうか」
 
 何処ぞの国の民族衣装だと言う、妙に硬く重い生地で出来た衣装を引き摺りながら、ペンギンはずるずると窓際の椅子へと移動した。
 
 決して多くはないもののそれなりの部員数を誇るのがこの同好会なのだが、どうにもキャストに適した人材を見出す事が出来なかった我らが監督の頼った先が、今まさに部室の隅で途方に暮れているキラーだった。
 ちょいちょいと手招きをすると、漸く拠り所を見つけたような顔をして此方へ向かって歩いてくる。
 
 当の本人は何やら同好会の会長に台本を突き付けてわんやわんやと騒いでいるし、他の部員たちは小道具大道具の作成に余念がない。
 さして科白の多くはない、しかしそれでいて道具や衣装には矢鱈と手のかかる劇だということもあり、暇を持て余すのはたった二人の役者しかいないというのが現状だ。
 
 「本職の方はどうなんだ」
 「上手く行っている。只、キッドの奴がこの直前になって新曲を作るなんて言いだしてな。出来上がるまで俺の出る幕はなしだ」
 「ふうん」
 「そっちこそどうなんだ」
 「俺?」
 「決して主演なんて柄じゃないだろうに」
 「主演はお前だよ。俺は助演」
 「キャスト二人の劇で、主も助も無いだろう」
 「まあ、それはそうだな。けどそれを言うなら、お前だって役者なんて柄じゃないだろう。無理してるんじゃないのか」
 「お前が相方でなければ引き受けなどしなかったさ」
 「その科白、そっくりそのまま返してやるよ」
 
 部員数はそれなりであるものの、活動目的のはっきりとしないこのハート同好会は弱小の域を抜け出せない。
 必然与えられた上演時間も短く、劇の内容も随分と簡素だ。
 寧ろ混み合う舞台の使用権を与えられたということが既に奇跡的なのだろう。
 生徒会長のドレークと部長のローが懇意であることが幸いしているのかもしれない…………否、この場合は不幸いと言った方が相応しいだろう。
 
 肝心の劇の方はというと、どうにも何某かの小説をアレンジした古典モノらしく、ざっくばらんに言えば和物の耽美劇という奴で。
 一体需要が何処に在るのかは知らないが、何分監督と、珍しく会長が乗り気だったので、部員たちも俄然やる気を出しているのが現状だ。
 但し、役者2名を除いて、の話だが。
 
 「しっかし」
 「?」
 「俺とお前の耽美劇なんて、世も末だな」
 「違いない」
 「当日の客の入りが心配だよ」
 「寧ろ少ない方が有難いというのが本音だが」
 「チガイナイ」
 
 顔を見合わせ、ふふっと笑いを洩らす。
 この造作ならいっそ女形でもやらせた方が良いんじゃないかとさえペンギンは思ったが、口を挟んだ所で話がややこしくなるのは目に見えている。
 
 「まあ、短い間だが宜しく頼む」
 「こちらこそ」
 「ペンギーン!ちょっと最後の方加筆したから見て!」
 「ああ、分かった」
 「此処なんだけど、どう?」
 「お前…………本気で言っているのか」
 「駄目?」
 「駄目?とか言う問題じゃないだろう!仮にも公衆の面前でこんな」
 「もう、相変わらずペンギンは固いなー」
 「じゃあお前がやれ」
 「だが断る」
 「貴様…………」
 
 ちらと此方に向けられた目線の真意を図れず、キラーは小首を傾げてそれに応対する。
 それを見たペンギンの頬が心なしか赤く染まった気がしたが、兎角上の方針が決まるまでは大人しくしているのが無難だろうと、再び深く椅子に座り直すこととする。
 
 
 上演当日、監督を筆頭とした部員たちの熱烈な宣伝が災いして、体育館の満席御礼にペンギンとキラーが幻滅したのはまた別の話で。
 形だけの接吻に酷く館内が沸いたのもまた別の話。



 2011.09.21.