drop

 「…………っふ」
 「ほら、まだ最後までイってないだろう?」
 「も、これ以上、駄目だ…………ッ」
 
 生理的な涙の零れ落ちるまま、拭う事も出来ないでペンギンは只掠れた声を出すことしか出来ない。
 頬に伝う透明なそれをそっと指で拭い、キラーは耳元で囁いた。
 
 「ほら、泣いてばかりいないで」
 「ん…………」
 「力を抜け、もう少しだから」
 「だ、から…………っあ」
 「ペンギン」
 「無理だ、って…………言ってるだろ!!」
 
 
 ばあん、と派手な音がして、卓袱台よろしく真名板が綺麗な放物線を描いて宙に舞い挙げられた。
 ついでに刻みかけの玉葱も派手に散り、勢いで跳ねた包丁がつい先程まで自分の足があった所にびいんと突き刺さる。
 キラーは洒落でもなく血の気が下がるのを感じた。
 
 「あーあ、勿体無い」
 「だからっ、俺は玉葱切るの苦手なんだっ」
 「その前に言うことがあるだろう」
 「何だよっ」
 「お前は俺の足に風穴を開ける気か?」
 「うっ…………それは、すまないと思ってる」
 「それに、たかが玉葱の一個や二個切るだけで、そこまでだばだばと涙を流す奴を俺は初めて見た。苦手とかそういう問題じゃないだろう」
 「に、苦手だと言ったらニガテなんだ!」
 「そうなるって初めから分かってるなら、どうして対策をしない?切る方向とか、いっそゴーグルにマスクを装着するとか」
 「俺は料理下手な小学生じゃない!」
 「同じようなものだ。そんなに顔をぐしゃぐしゃにして」
 
 鏡で見てみろ、笑えるぞと言いながら飛び散った玉葱の欠片を掻き集めビニール袋に詰める俺を見ながら、ペンギンが何やらぶつぶつと呟いている。
 
 「何」
 「何でもないっ!ごめんっ!」
 
 言うや否や勢い良く洗面所に駆けこんでいく様子からするに、料理の得意な彼がどうにもこれだけは本当に苦手らしいとキラーは苦笑を洩らす。
 しかし、目を真っ赤にしながらも此方への気遣いを忘れずきちんと挨拶をしていく辺りは、流石に変なところで生真面目な彼らしい。
 そんな所が好きなのだけれど。
 否、そんな所も、といった方が良いかもしれない。
 
 「大丈夫か?」
 「洗浄液で洗ったら馬鹿みたいにまた目に染みて、泣きそうになった」
 「泣いてるじゃないか」
 「うるさい!」
 
 ばふんと此方へ体重をかけて寄りかかる。
 そのまま食器棚に衝突しては大変と、俺がずるずる座り込んだのを良い事に、完全に人のエプロンを犠牲に気のすむまで涙を零し続ける姿勢に入ったようだ。
 
 「うー」
 「はいはい。全く、本当に子供みたいなやつだな」
 「何とでも言え」
 「何でそんなに玉葱嫌いなの」
 「食べるのは好きだ」
 「…………然様ですか」
 
 ふうと大きくひとつ息を吐き出すと、ちらと埋めた顔を上げて、ペンギンが此方を伺う。
 不安そうな色の見てとれた瞳を一舐めで拭ってやると、未だ眼球に違和感があるのかごしごしと瞼を擦る仕草をした。
 
 「こら、あまり擦るな」
 「だって、痛い」
 「気になるからと言って擦りすぎると余計に目に悪い。傷が付くぞ」
 
 舌に乗せた涙の味を未だ嚥下しきれないまま、俺はくしゃりとペンギンの髪を撫でた。
 
 晩餐の完成には未だ程遠い。
 時計は既に夕暮れから幾刻も離れた時を指しているというのに。



 2011.09.23.