EXIT

 ぼんやりと地下鉄のホームに腰を降ろして、人の往来を観察する。
 
 
 幾時が経ったのだろうか。
 黙って見送った電車の本数は疾うに数えられる範囲を越えていて、時計を忘れたこの身では一体今が朝なのか昼なのか、はたまた夜なのかさえも分からない。
 最も、右手を見上げればそこには次の電車の発車時刻と現在時刻を表示した電子板があるだろうから、確認しようと思えばいつでも出来るのが現状だ。
 しかしどうにも、ここまで来ると一々時の流れを気にするのも面倒で、一つ大きな溜息を吐きだした。
 
 木枯らしの吹き始めた地上に比べ、此処は未だ幾分か温かい。
 電車が走り去る度に吹き抜ける生温かい風は決して不快な物では無かったし、人工的な灯りに照らされたこの閉鎖空間は不思議と居心地が良かった。
 
 朝の通勤ラッシュに始まり、併設したデパートに押しかける婦女子の群れ。
 ぽつりぽつりと帰路に着き始めた学生が目について、帰宅ラッシュの黒い背中を見送る。
 
 途切れずに次々とやって来る地下鉄に、吸い込まれては吐き出されての繰り返し。
 狭い出口に殺到するその動作は何処か滑稽で、乾いた笑みが漏れる。
 次第にホームに立つ人の影は少なくなって、最終列車の発車を促すアナウンスが耳を通り抜けた。
 不意に濡れた車体が薄暗い照明に煌き、外では雨が降っているのかと納得する。
 
 目まぐるしく動く世界に於いて、止まったままの自分は何処までも遺物で、無意味な存在なのだろう。
 狭い視野にかかりきりになっている人々の狭間にじっと佇んでいるそれはきっと、取るにも足りない魑魅魍魎にも似て。
 目を閉じれば、漣のように広がり消えぬ他人達の海に沈み消えてしまうような気がした。
 
 揺れる度に入り乱れ、君と、俺と、他人の境界線が酷く曖昧になって行く。
 君の前では強い俺のままでいたかったのだけれど、どうやらそれも限界で。
 上手く笑う癖さえ、何処かに忘れて来てしまったようだ。
 
 
 時計の針は、約束の時をもう五分、過ぎ廻っていた。
 
 
 これ以上この場所にいてはいけない、何故かそんな気がして。
 ゆるやかな勢いを付けて立ち上がり、改札へ繋がる止まったエスカレーターを横目に階段へと足を延ばす。
 一段目を踏みしめると何やらメランコリックな音が聞こえて、ああ終電が滑りこんできたのだと気付いた。
 
 間の抜けた空気音と共に、僅かな足音がコンクリートに響く。
 背を覆うように影が射した。
 頬の雫が灰色の地面に落ちて黒い染みが広がる。
 
 「ただいま」
 「…………遅い」
 「うん」
 
 立ち往生には、もう飽きた。
 君の相槌は、こんなにも柔らかかっただろうか。



 image by PORNOGRAFFITTI
 2011.09.27.