昨日の君に、お別れを

 「やっぱり俺には無理だ」
 
 吐き出すように言うペンギンに、困った様な、苛立つ様な顔をする。
 
 「無理だと言っても…………感情で割り切れるようなものじゃない。飲まないとお前は死んでしまう」
 
 もう幾度このやりとりを繰り返したのだろうか。
 
 瀕死の彼を救う手立ては他になくて、
 その白い首筋に歯を突きたてて、光の下へ出られない身体にしたのは他ならぬ己自身だ。
 
 夥しい量の血に塗れた、今にも止りそうな程に弱い心拍をした彼を前にした時、視界が真っ暗になった。
 理性なんて言うものは何処かに吹き飛んで、焦りと不安と、どうしようもない熱情のままに綺麗な肌を傷つけた。
 大分呼吸の落ち付いて来た彼の額を落ち付いて拭った後に漸く、この勝手な行いを知った時一体彼はどんな言葉を吐くのだろうという、とてつもない罪悪感に見舞われたことは確かだ。
 けれどその黒耀の瞳が再び開かれた時、永らえた命に微笑んだその細い輪郭を見て、今後一切を掛けて彼を守ろうと決めた。
 
 だがそれはあくまで外的から来る危険に対する手立てでしかなく、内面から来る渇きとそれに伴う命の危機を救う術など、生憎だがキラーは持ち合わせていないのだ。
 
 「ほら。兎角、味に慣れろ。直接に人間から吸うのは未だ抵抗があるかもしれないが、これなら未だマシな筈だ」
 
 クリスタルの瓶に入った透き通る紅い液体を眼前に揺らしながら、キラーは言う。
 しかしそれを見る目は相変わらず拒絶に満ちていて、ひとつ溜息をついた。
 
 「…………脅しじゃないんだ。弱ってきているのは自覚しているんだろう?」
 
 人間の食物を受け付けない、吸血鬼の身体。
 受容することが出来るのは、人間の血液のみ。
 
 つい先日まで只のヒトであったペンギンが、ヒトからの吸血を拒むのは理解できる。
 しかしこれはそういう生易しい問題では無く、現に今、吸血を拒み続けている彼の身体は至る所にガタが来て、蓄積された疲労と絶え間ない頭痛にその精神は苛まれている筈だ。
 
 「…………」
 「…………俺の血で良ければ喜んでやるが、吸血鬼同士では何の意味もないからな…………」
 「…………」
 「…………」
 
 ともすれば生きる意志さえも失っていると言わんばかりのその暗い眼差しに、押さえていた堪忍袋の緒がとうとう切れた。
 
 話しかけてもまともな返答をしない。
 妥協の産物である、この小瓶をもその手に取ろうとしない。
 一度救うと、守ると決めたのに、救われることを享受した癖に守られることを拒否するその強情に酷く嫌気がさした。
 
 「何を、」
 
 徐にその手首を掴み引き寄せる。
 座り込んだペンギンの身体は引かれるがままに立ちあがり、最早自身を支えることすらままならない体力が足をふらつかせた。
 そのまま倒れ込んだ少し低い身長を胸に受け止め、コルクの蓋を跳ね飛ばす。
 
 「ッ!」
 
 口に含んだ命の水を、その血の気の無い唇に、宛がう。
 否応なしに流れ込む鉄の味を拒むようにペンギンは身を捩るが、差し込んだ舌で口蓋を嬲ってやるとようやく喉が嚥下の働きを示した。
 
 「っは、はあ…………」
 「…………」
 
 眦に浮かんだ涙を指の背で拭ってやると、縋りつくように襟元が握りしめられる。
 
 「…………美味い」
 「…………そうか」
 
 茫然としたように呟かれた絶望に一先ずの相槌を打つと、噛み殺した嗚咽が埋められた胸から聞こえて、やるせない心持になった。



 2012.01.18.