絶対領域、未確認

 「お願いします」
 「断る」
 
 哀願するように贈られた告白の科白を一蹴した男は、相手方の背がどよりとしたオーラを醸しながら去っていくのを何とはなしに見送って、大きな溜息を吐いた。
 
 「はぁ…………」
 「何だ、ペンギン。相変わらずのモテっぷりじゃねえか」
 
 
 はああ、と未だ抜けきらない嘆息を吐きだせるだけ吐きだそうとしていると、前の席に腰かけたローがにやにやと此方を見ている。
 
 「…………何ですか」
 「いや、ほんと、よくモテるよなあと」
 「…………男にモテて何が嬉しいんですか…………そりゃ、あんたはいいですよ。女の子からちやほやされるんだから」
 「お前だって、別に男子からしかモテねえ訳じゃないだろ?」
 「知りませんよ」
 「女子だってキャーキャー言ってるじゃねえか」
 「じゃあ何で俺の所には女子が来ないんですか」
 「お前がゲイだと思われてるから」
 
 初耳だ。
 初めて得た知りたくもない情報に暫し絶句していると、爆弾を落とした本人は事もなげに紙パックのジュースを取り出した。
 
 「な…………な…………」
 「何だよ、そんなに驚くことでもないだろ?幾ら断り続けてるとは言え、あれだけの人数に告られてりゃ勘違いもするわな」
 「ふ、不可抗力じゃないですか…………!あんた、訂正してるんでしょうねそれ聞く度?!」
 「んー?」
 「…………もういいです」
 
 音もたてずにストローを咥える人を見る。
 真坂肯定して回っている訳ではあるまい、と信じたいところだ。
 何せ人の不幸や嫌がる所、苦しむ様子を見て快楽の笑みを零す人なのである。
 この人にそういった意味での人並み以上を求めてはいないので、別段流布に勤しんでいる訳でないならこの際彼の動向なんて別にどうだっていい。
 しかし…………
 
 「…………俺はちゃんと女の子が好きなのに…………」
 「ハンコックみたいなか?」
 「あたりまえでしょう!男なら誰でも九蛇女子高校みたいな聖域に憧れるもんでしょうが!!」
 「そうかぁ?」
 「…………あんたには分からないでしょうがね…………」
 
 外見内面トータル偏差値の高さから近隣学校の男子生徒に、ともすれば女子にも絶大な支持を誇る九蛇女子高校の学生たち。
 中でも生徒会長であり実技学問の実力も去ることながらずば抜けた美貌すらを持つボア・ハンコックという女。
 到底手の届かない高根の花である筈の彼女と、ペンギンの友人であるローはどういう訳か知り合いで。
 そこに僻みを覚えていないと言えば嘘になるが、何せ男からの人気も女からの人気も厚いのがトラファルガー・ロー彼自身であり。
 しかしそんな引く手数多筈の彼は、どういうわけかユースタス・キッドなんていうゴツい男に日夜付き纏っている。
 そんな恵まれた変人に、自分みたいな平平凡凡…………否、男ばかりに好かれるというこのステータスを踏まえれば凡人以下も余裕な身の上が思うことなんて、分からないに違いない。
 
 「はぁ…………」
 「まあ、元気出せよ?少なくとも大学行けば何か変わるって」
 「俺の青春…………」
 「…………男で良いなら、適当にその辺から見繕って来てやるが?」
 「あんた今まで何聞いてたんですか」
 
 ぎろりと睨め付けると、おお怖いと大袈裟に身を震わせたローはやはりからかいの笑みを浮かべている。
 何だかもうどうでもよくなってきて、頬杖をついて窓の外に視線を投じた。
 
 「あ」
 
 二階の窓からでもはっきりと見ることが出来る、ターコイズのマフラーから靡く見事な金糸。
 校庭を横切って歩くその横顔は傍目に見ても、
 
 「美人…………」
 「おー、あれはレベル高ぇなあ」
 
 ぼうっと眺めていると、不意にその人が顔を上げる。
 
 
 視線が、合った。
 
 
 思わず立ち上がった俺に、ローの感心する様な声が聞こえた。
 
 「どうせならあんな綺麗な子から好かれたい…………」
 「金髪碧眼が好みか」
 「いや、別にそれに拘る訳じゃないですけど…………そりゃあ、金髪碧眼の美少女なんて最高じゃないですか」
 「…………お前の眼は節穴か?」
 「は?」
 「制服」
 「あ」
 
 スカートの下から覗くはずの絶対領域は無く、あるのは只自分が履いているのと同じ、ありふれたチェック柄のスラックス。
 良く見れば胸元にある筈の柔らかな膨らみすら、確認することは出来ない。
 
 「だ、男子…………」
 「幾ら綺麗な顔だとはいえ、見りゃ分かるだろ…………そんなに飢えてんのか」
 「人を動物か何かみたいに言わないでくださいよ…………はぁ…………勿体無い…………男か…………」
 「お、あれユースタス屋じゃねえか」
 
 金髪の青年が立ち止まって話しているのは、燃える様な赤髪の男だった。
 逆立てられた刺さる様な髪と眉の無い強面は見る者を竦み上がらせる凶相である。
 青年は、その彼と何の躊躇いも無しに話し、仕舞には並んで歩き始めた。
 
 「何だ、ユースタス屋の知り合いだったのか」
 「…………」
 「…………紹介して貰うか?」
 「断る!」
 
 思いも掛けない、否、ある種予想できたその問いに全力を以て答えたとき、ローのポケットから着信を告げるメロディが流れ出した。
 シロクマのストラップがついた携帯電話を引きずり出して画面を開いたローは、「ユースタス屋だ」と嬉しそうに呟いて通話ボタンを押す。
 
 「どうしたんだ、お前から電話なんて珍しいじゃねえか…………何だ、俺に会いたくなったのか?」
 
 相変わらずの軽口に怒号の様なものが漏れ聞こえる。
 
 「フフ、そう拗ねるなよ…………え?ああ、今一緒だけど…………ああ…………分かった」
 
 ぱたんと電話を閉じたローが、くるりと此方を向く。
 
 「ご指名だぞ、ペンギン」
 「俺ですか?」
 「ああ。会わせたい奴がいるって、ユースタス屋が」
 「…………また男じゃないでしょうね…………」
 「さあ?でもお前が幾ら嫌だって言っても、俺はお前を引き摺ってでも行くからな」
 「な、何でですか?!」
 「だって俺、ユースタス屋に嫌われたくねぇもん」
 
 本気でそう思うならまずはその仕様の無い捻くれた根性を叩き直すべきじゃないのか。
 という科白を口にできる筈もなくて、ペンギンは渋々と言った体で椅子から立ち上がった。
 
 「変なこと言ったら怒りますからね」
 「例えば?」
 「…………もういいです」
 「フフ、そう怒るなよ。損はさせねえ」
 「信用しますよ?」
 「おう」
 
 暖房の効いた教室から出ると、コンクリートの打ちっぱなしが温まった体に染み入った。
 身をすくめながら歩く昇降口に待つ人影を予期もしないで、そそくさと歩を進める。
 
 冬空はやけに冴え渡っていた。



 2012.02.03.