snow smile *

 とすりと軽い音を立ててバスのステップを降りると、そこは一面の銀世界だった。
 寝台列車を降りた駅でも暮らす街と比較にならない程の雪に驚いたが、そこで乗り込んだバスが山間部に向かって進むにつれていよいよ増す積雪量に、最早驚くことさえ忘れてしまっている。
 あるのは、只感嘆。
 
 「…………何と言うか…………」
 「凄まじいだろう」
 
 振り返ると防寒帽をかぶったペンギンが笑っていた。
 文字通りの銀世界。
 何も無い片田舎の路端は、きっと夏になれば一面に稲穂の緑を輝かせて爽やかな風を生むのだろう。
 けれど今は冬。寒盛真っ只中である。
 平らにされた田園にはうず高く雪が積もって、人が擦れ違えるほどの僅かな隙を作って只管に世界を白く染め上げていた。
 畦道は延々と続いて、先も見えない。
 
 「幻想的とか言われるけど、地元の人間にとっちゃそういうのを通り越してるよ」
 「ああ…………ここまでくると、幻想云々と言っている場合では無いな…………」
 「ふふ。あ、でも…………ダイヤモンドダストは綺麗かな」
 「へえ」
 「物凄く寒い朝にしか見られないけどな。あれはいつ見ても綺麗だと、思う」
 「明日、見られるかな」
 「どうだろう。物凄く寒くないといけないから」
 「物凄くか」
 「物凄く」
 
 くすくすと笑って、驚くキラーを見るペンギンは酷く楽しそうだ。
 
 彼が休暇を使って帰郷するというので、話に聞く北の地に是非一度足を降ろしてみたいと思っていたキラーは、一緒に来るかという誘いに一も二も無く興じた。
 彼の生まれ育った雪の降る街を、この目で見てみたかった。
 今目の前に広がるこの壮大な白い色が、目の前に立つ彼の黒曜色の髪と瞳を創り上げたのだと思うと、少し不思議で、くすぐったい気持になる。
 黒いコートと相まって余計に強くなるコントラストはとても眩しくて、思わず目を細めた。
 
 「お前は酷く色が薄いから、こうして見ていると何だか雪景色に溶けて行きそうだな」
 
 白いジャンパーを羽織ったプラチナブロンドの髪を、ペンギンはそう揶揄する。
 キラーとて、その余りに強い色の対比はまるで世界がペンギンという存在をその外へと捨て去ろうとしているかのように感じていたので、その旨をお返しとばかりに彼へ伝える。
 反撃を受けたペンギンは少し面食って、やがてそれは困るとばかりに小さく微笑んだ。
 ゆれる帽子の雪洞が、世界に色を灯す。
 
 「ここから俺の家まで、バスは通ってないんだ。雪が降って車の通れる道も塞がってしまったから、迎えに来て貰う事も出来なくて」
 「そうか」
 「大分歩かなきゃならない。大丈夫か」
 「大丈夫も何も、それ以外に方法が無いんだったら仕方ないじゃないか」
 「それは、そうだが」
 「…………お前と一緒なら、何でもいいさ」
 「…………そっか」
 
 並んで銀世界を歩く。
 一歩踏み出すごとにさくりさくりと刻まれる雪の足跡はただ真直ぐに世界を横断している。
 
 「俺が世界に溶けて、お前が世界から放り出されても、この軌跡が俺達が今此処にいることを証明してくれるかもしれないな」
 「なんだそれは」
 
 あまりに強い世界の色に少し頭は霞んでしまったようで、呟いたキラーにペンギンは可笑しな奴だと声を上げて笑った。
 
 「よく、笑うな」
 「そうか?」
 「ああ。普段よりもずっと、表情が柔らかい」
 「…………雪が」
 
 少し溜めて、ペンギンは言った。
 
 「雪が白くて、頭が少し変になっているのかもしれない」
 「俺のことを言えたくちじゃないじゃないか」
 「ふふ、そう怒るなよ」
 
 何が可笑しいのか知らないが、相変わらず笑顔を絶やさないその横顔が酷く新鮮だ。
 いつもは眉間にしわばかり寄せて厳しい貌をしているので、普段からそうやって柔らかな顔を作れば良いのにと少し思った。
 けれどその考えはすぐに駄目出しを受ける。
 今この世界に二人あるその時に彼が笑う、そこにこそ意味があって、何も皆に彼の笑顔を見せてやる必要はないだろうから。
 白い雪よりも眩しいその笑みは、自分だけのものだ。
 
 「しかし寒いな」
 「南生まれには厳しいか」
 
 鞄を片手に持ち替えひょいと差し出された手を握ろうとして、少し躊躇った。
 考えた後で手袋を外す。
 
 「何で外すんだ。寒いだろう」
 「手袋をしたままじゃ、お前の温かさが感じられない」
 「俺が手袋をしているんだから、お前が外そうが外すまいが同じ事だろう」
 「…………」
 「全く」
 
 ひとつ息をついて、ペンギンは外した手袋をコートのポケットに突っ込んだ。
 再び差し出された手を、今度は躊躇いも無く握る。
 
 「あたたかい」
 「外気にさらされて俺は寒い」
 「あれ、買えば良かったな」
 「どれ?」
 「恋人つなぎが出来る手袋」
 「…………とうとう本格的に頭が湧いたようだな」
 
 大丈夫か?と胡乱気に覗きこむ彼の顔から笑みが失われていることが少し惜しい。
 魔が射して、その唇に小さな音をたてて接吻を落とすと、いよいよ彼の表情は険しくなった。
 白い世界に響いたリップノイズは、彼の心無い歩みによってすぐに掻き消されてしまう。
 
 「…………」
 「別に良いだろう、誰も居ないんだから」
 「…………」
 
 今度は少し大きく息を吐いて、ペンギンは少し歩くスピードを速めた。
 それでも繋いだ手が離されることは無かったので、さして怒らせてしまった訳でもないようだとキラーは少し安堵する。
 
 「冬が寒くってほんとに良かった」
 「?」
 「君の冷えた左手を」
 
 歌いながら手を引くと、為されるがままにペンギンは歩を緩める。
 ジャンパーのポケットにつないだままの手を入れると、顰め面は僅かに弛緩して、その顔を覗きこんでにこりと笑うと、漸く彼の頬にも柔らかさが戻った。
 
 「あとどれくらい歩くの」
 「…………内緒」
 
 悪戯好きな子どもの様に笑う彼の顔は、やはり白い雪よりも断然と眩しい。
 困った様に笑うキラーに、ペンギンはまた一つ小さな笑みを投げた。



image by BUMP OF CHICKEN
 2012.02.08.