夢を見る色

 夜も更けて、そろそろ眠りに着こうかと言う頃。
 抑えた音量で携帯電話が着信を告げ、枕元に置かれたそれをキラーは慌てて取り上げた。
 
 「もしもし」
 『あ、もしもし?キラーさん?』
 「そうですが…………」
 
 端末を耳から話して、もう一度液晶を見る。
 表示されているのは確かに友人の名前なのに、電話口の声には全く覚えが無かった。
 
 『すまないね。…………あんた、この電話の持主の知り合いか?』
 「ええ、まあ…………ペンギンに何かあったんですか」
 『ああ、ペンギンっていうのか、この兄ちゃん。いや、もうそろそろ閉店時間なんだか、えらく酔ってしまって中々起きてくれないんだ』
 
 何処かの居酒屋の店主の話曰く、二人で店に入ってきたは良いものの、連れが先に店を出てしまい一人飲み続けたペンギンは、見事に酔いつぶれ眠ってしまった。
 閉店の時間が近づき、店主が起こそうとするも困ったことにペンギンは起きない。そこで机の上に置かれていた携帯電話の、着信履歴の一番最初にあった番号に電話をかけたと、つまりそういうことらしい。
 
 「それは…………友人が、迷惑をかけました。引き取りに行くんで、店の場所を教えて貰っても良いですか?」
 『ああ、そりゃ助かる。店の名前は――――』
 
 伝えられる情報を手近な紙に書きつけて行く。聞き終えてみるとそこはキラーの家からさほど遠くも無い一軒の飲み屋だということが分かった。
 コートを羽織り、扉に鍵を掛ける。酔っぱらいを乗せるのも困難だろうとバイクには乗らず、寒空の下を歩くことにした。
 ものの10分もかからずに辿りついた目的の店は既に暖簾も降ろしていて、そろりと引き戸に手を掛けると、カウンターの向こうに店主らしき男が立っていた。
 
 「キラーさんか?」
 「あ、ああ」
 「わざわざ夜遅くにすまないな。ほら、ペンギンさん。お連れさんが来たぞ」
 
 カウンターの片隅に座るペンギンはうつ伏せの状態で眠っていて、声を掛けられるとむず痒そうに身体を揺らした。
 
 「…………ペンギン」
 「ん…………き、らー?」
 「ああ、そうだ。ほら、立てるか?もう閉店時間だ。店を出るぞ」
 「んー…………」
 
 頬をぺちぺちと叩いて取り付いた睡魔を追い払う。
 未だ酔いの抜けない目で此方を見ると、ペンギンはふにゃりと相好を崩した。
 
 「キラー」
 「はいはい。全く、お前がこんなに酔うなんて珍しいな…………」
 「ふふ」
 
 何が可笑しいのか、酔っぱらいは笑いながらキラーの腕に縋りつく。
 傍に合った伝票を取り上げ支払いを済ませる間も、ペンギンはキラーから離れようとしない。
 
 持つ物を持たせて、着る物を着せて、鞄は自分の肩にかける。
 店を出ると外は相変わらず綺麗で、冬の澄んだ空気に星が綺麗に瞬いていた。
 
 「キラー」
 「何だ」
 「んー…………何でもない」
 
 未だくすくすと笑い続けているペンギンは、普段のそれとは比べ物にならない程穏やかな表情をして、そのあどけない顔にキラーの胸は仕様も無く高鳴った。
 キラーはペンギンのことが好きだ。けれどそれを本人に伝えてはいないし、今後伝えるつもりも無い。伝えた所で気味悪がられるだけだろうから。
 ただ仲の良い友人として歩めれば良いと、そう願っているのだが。
 
 (…………そんな顔を見せてくれるな)
 
 内心で苦々しく思いながら、上機嫌な友人の横顔を見つめる。
 しな垂れかかるように回された腕は普段よりも両者間の距離をずっと縮めていて、それだけでも既にキラーのキャパシティを超えているというのに。
 
 「お前、今日は何故そんなに酔っているんだ?酒には強いだろう」
 「んー…………ちょっと、飲みすぎた」
 「珍しい事もあるものだな、本当に」
 「だって…………」
 「?」
 「ローが先に帰ってしまったから…………」
 「何だ、トラファルガーと飲んでいたのか」
 「酷いんだ。幾分か前から今日は俺と飲みに行く約束だったのに、あいつ、ユースタスに呼ばれたからちょっと行って来る、なんて言って。凄く嬉しそうな顔で言うんだ」
 「…………成程」
 
 彼の友人であるトラファルガー・ローは、キラーの友人であるユースタス・キッドと所謂"恋人関係"にあるらしい。
 両者共男であるという最大の障壁を彼らは物ともしないらしく、最初は遊びだろうと高をくくっていたキラーが驚くほどにその関係は続いている。
 以前、キッドがぽつりとローのことを話した時、彼の頬に浮かんでいた柔らかな表情には心臓が凍りついた。
 その優しさは、彼の顔にあって最早不気味とも言えるレベルに達していたからだ。
 
 「まあ…………恋人に呼ばれたなら、友人との約束も疎かにしてしまうのかもしれないな…………」
 「そうなんだ…………俺の想いは叶わないままなのに、幸せそうな顔をして『お前も頑張れよ!』なんて言いやがって…………」
 「え」
 
 普段の彼らしからぬ愚痴っぽい科白への驚きも去ることながら、聞き捨てならないことを耳に挟んだ様な気がして、キラーは思わず歩みを止めた。
 
 「急に止まるなよー…………」
 「ああ…………すまない。…………お前、好きな奴がいるのか?」
 「ん?いるけど…………」
 
 初耳だった。
 別段この想いを叶えるつもりはないものの、彼に想い人がいるかいないかはまた別の問題である。
 好いた相手に気になる存在があるのなら、それは片恋慕の延長として、非常に気になる。
 
 「そうか…………」
 「そう…………そうなんだよ…………聞いてくれよ、キラー」
 「何だ?」
 「俺、必死でそいつにアピールしてるのにさ、全然振り向いてくれないし、気付いてもくれないんだ」
 「それは…………」
 「一緒に遊びに行ったり、泊まりに行ったりしてるのに、手も出して来ない…………俺ってそんなに魅力無いか?」
 「そんなことは無いと思うが…………って、ちょっと待った」
 
 本日二度目の爆弾発言に再び足が止まる。
 
 「手も出して来ないって…………相手、男なのか」
 「…………そう、だけど」
 
 …………想定外だ。
 てっきり彼が好きなのはそのあたりにいる女子の誰かなのだろうと思っていたので、その相手が男だなんて、そんな不条理があるだろうか。
 ペンギンが同性ゆえ想いを伝えるのを諦めていたのに、そのペンギンが想いを寄せるのもまた同性だなんて。
 そんなのは、無いと思う。泣きたい気分だ。
 
 「…………」
 「…………キラー?なあ、どうしたんだよ」
 「…………」
 「キラーってば!」
 「あ…………すまない」
 
 強く名前を呼ばれ、はたと我に帰る。
 キラーの気も知らないペンギンは、酔いに潤んだ目で此方を見上げていた。
 
 「どうしたんだ、お前今日変だぞ?」
 「いや…………何でもない」
 「嘘。ぼーっとしたり急に立ち止まったり。俺の話、ちゃんと聞いてたのかよ」
 (聞いていたからこういう胸中になっている訳なんだが…………)
 
 しかしそんなことを彼自身に伝える訳にもいかず、ただただ目の前の彼と沈む感情を持て余していると、先程までの笑顔は何処へやら。
 くしゃりと表情を歪めて、ペンギンは言った。
 
 「…………やっぱり、俺の事、嫌い?」
 「な、何故そうなる?!」
 「だって…………俺、愛想無いし、冷たいし。今日だって、夜中に迷惑掛けたし…………ごめんな」 「あ、謝ることは無い。別に迷惑だなんて思ってもいないし、お前のことを嫌いだなんて思ったことも無い」
 「…………またそうやって気を遣わせて。俺、本当に駄目だ」
 
 酔いというのは恐ろしいもので、次々と零れ落ちるマイナスの言葉は普段の彼のイメージとは大きくかけ離れていた。
 そんなことを考えていたのかと辛くなる位に彼の科白は彼自身の心に突き刺さって、その傷はキラーの心をも抉る。
 
 「俺…………」
 「もう、何も言うな」
 
 遂に涙まで零し始めたペンギンを、とっさに胸の内に囲い込む。
 はっと息を呑む様な気配がしたが、抵抗もされない今この体温を手放すことなんて、キラーには出来なかった。
 
 「お前は、何も悪くない」
 「キ、ラー…………」
 「ずっと言うつもりは無かった。けど、お前が泣いて、苦しんでいて。その原因が、好いた男で」
 「…………?」
 「…………すまない、今、言う事じゃないかもしれない、けど」
 「…………」
 「俺が、苦しいから、言う」
 
 その痩身を抱きしめたまま、ぽつりと言う。
 
 「好きだ、ペンギン」
 「…………え」
 「お前のことが、好きで好きで、堪らない」
 「…………」
 「でも俺はお前の渇きを癒してやる事なんて出来ないし、今だって俺の都合でこうやって一方的に想いを伝えている。最低な男だ。だからお前に想いを返して貰おうとも思わないし、これからの付き合いにも今まで通りを期待したりはしない。だから」
 
 そろりと身体を離して、滑り落ちる透明な涙を指の背で払った。
 
 「もう、泣くな」
 「…………」
 「そう泣かれては、お前を如何にかしてしまいたくなる」
 「…………キ、ラー」
 「お前の気持ちはよく分かるよ。トラファルガーがキッドの所へ行ってしまって、淋しいのも分かる。けどそれはお前のせいじゃないし、お前の想う奴がお前のことを顧みないのだって、お前が悪い訳じゃない。だから、泣かないでくれ。早く酔いを覚まして、踏み出すんだ。俺に感けている場合じゃないだろう?」
 「…………」
 「ほら。しっかり立て。家まで、送り届けてやるから…………あまり、俺を、煽らないでくれないか」
 
 眦を色付かせ涙目になって見上げるその表情は酷く扇情的だ。
 マフラーの隙から見える白い項も、さらさらと手触りの良い髪も、キラーの理性を削ってやまない。
 魅力が無い?冗談じゃない。薄く開かれた紅い唇はまるで口付けを乞う様で、いつにも増した色気に当てられそうになる…………本当に、酔いとは恐ろしい。全てにおいて本人は無自覚なのだから。
 こんな状況下においていっそそこに柔らかな口付けを落として、永遠にその細い身を腕の内に囲ってしまう事が出来ればとさえ思ってしまう自分を、酷く醜いと感じた。
 
 「…………」
 「…………ペンギン」
 「…………馬鹿」
 「え?」
 「そこまで分かってて…………だからお前は、馬鹿なんだ」
 
 そろりと、指先が頬に触れる。
 困惑するキラーに頬を色付かせたペンギンは誘う様に言った。
 
 「ひとりで何でも分かった気になって。俺の気も知らないで」
 「…………何が、」
 「鈍感なのはお前だ。全く、人がこれだけ苦心してるのに何も気づかないで、挙句"煽らないでくれ"だなんて」
 「…………それ、は」
 「俺だって、お前のことが好きなのに。そんな風に言われたら、どうにも動けなくなってしまうじゃないか」
 
 近づく唇が触れ合う前に、その後頭部を引き寄せる。
 意思を以て重なったその柔い感触に眩暈を覚えた。
 
 「…………嫌じゃ、ないのか」
 「何が?」
 「俺は男で、お前も男だ。こんなの、普通じゃない」
 「普通なんて求めていたら、こんなことになってはいないよ」
 「けど…………」
 「俺はお前が好きで、お前が俺のことを好いてくれているなら、何の問題も無いじゃないか」
 「…………」
 「俺だって、この気持ちをお前に伝えるつもりは無かったさ。けど、そんな顔をされて、そんなことを言われたら、黙って居られる筈が無い」
 「…………ペンギン」
 「好きだよ、キラー。ずっと前から。だから」
 
 俺をお前の物にしてよ。
 誘う様に囁く唇が酷く官能的で、もう一度そこに触れるだけのキスを落とす。
 二度、三度、浅い口付けは徐々に深さを増して、気付くとその口の端からは少し苦しそうな喘ぎが漏れていた。
 鼻にかかった甘い声が、耳朶にこびり付く。
 そのまま何も言わずに歩きだしたキラーの後ろを、ペンギンは駆ける様にして追った。
 
 「ふふ」
 「…………何だ」
 「案外、照れ屋なんだなと思って」
 「…………勝手に言っていろ」
 
 確かに繋がれた手は寒空にも熱く、嵩む金糸に隠れた耳が真っ赤に火照っているのをペンギンは知っている。
 抑えていた感情の吐露を促す酔いと言うものも偶には悪くないと、アンドロメダが叫ぶのを見ながら新しい道を踏み出した。
  「俺の家、ここからかなり遠いけど」
 「あんなことを言われて、俺が素直にお前を返すと思うのか?」
 「…………途端に強気になりやがって」
 「全く、科白を吐いたこと、後悔しても知らないぞ」
 「それはお互い様だろう?」
 「全く…………酔っぱらいはこれだから困る…………」
 
 冴え渡る黒耀の瞳が、愛おしい。
 済み切った浅葱の瞳が、狂おしい。



 2012.02.10.