零の春風、堕ちた嘘

 「もう、別れようか」
 
 窓から見える申し訳程度の桜を愛でながら二人で慎ましやかに酌み交わしていた時の科白だった。
 一瞬何を言われたのか理解が追いつかなくて、瞠目するキラーを横にペンギンは訥々と語る。
 
 「お前に告白されて嬉しかったし、付き合ってる間も凄く楽しかったけどさ…………やっぱり俺、お前のこと"恋人"としては見られないみたいだ」
 「…………ペンギン?」
 「手を繋いで夜道を歩いたり、恋人ごっこは楽しかったよ。けど、キスもセックスも、お前を相手にするなんて考えられないんだ。お前はそれでも良いって言ってくれるのかもしれないけど、生憎俺は恋愛にそんな曖昧な関係を求めるタイプじゃないから」
 「…………」
 「短い間だったけど、振り回して悪かったな。明日からは、普通の友達として接してくれないか」
 「…………」
 「キラー」
 「…………ざけるな」
 
 困った様な微笑みを貼り付けて一方的な言葉をただ投げ続けたペンギンを待っていたのは、泣きそうなキラーの顔と、背に当たる硬いフローリングの感触だった。
 かしゃんと先程まで手にしていたグラスが割れる音がして、零れたアルコールの香りが漂う。
 
 「な、何を」
 「普通の友達として接しろ?曖昧な関係?ふざけるのも対外にしろよ」
 「キラー?」
 「俺がこの一ヶ月、どんな思いでお前を見ていたかお前は知らないから…………っ」
 「何言って…………んっ」
 
 突然落ちた口付けに動揺を隠せないでいるペンギンを他所に、キラーは熱を帯びた瞳で此方を見下ろしている。
 
 「やめ…………っふ」
 
 押し返そうにも体勢が辛く、肩口を押す手を止められてしまっては為す術も無い。
 抵抗の言葉は滑り込んで来た舌の根に妨げられて、歯列をなぞるその感触と吸い上げられる舌の甘い痛みに背筋を冷たいものが駆けるのを感じた。
 
 「決死の告白をお前に受け入れて貰えて、俺がどれだけ嬉しかったと思う?プラトニックな関係だと?俺がそんなに温い目でお前を見続けてきたと、お前は本当にそう思っているのか?」
 「キ、ラー…………」
 「たしかに表面上はにこにこと愛想を振りまいて、中学生の恋愛みたいに温い温度に体を浸して甘い雰囲気を振りまいていた。けど頭の中じゃ、何度だってお前を犯して、痴態を描いて、その先を想像したさ。お前が俺達の関係に一体何を求めて、何を見ていたのか俺の汚れた思考回路じゃ到底思い描きも出来ないが、少なくとも俺はお前が思っている程綺麗な人間じゃない」
 「ち、ちょっと待」
 「言い訳は無しだ。今更只の友人に戻るだなんて、俺には出来ない」
 「キ」
 「だが、俺の曖昧な態度がお前を不快にさせてしまったなら、それは詫びよう」
 「キラー!」
 「そして願わくば、これから俺がお前にすることを、許さないで欲しい」
 「何…………っあ」
 
 するりとシャツの下を縫って脇を撫ぜる手の感触に息を詰めると、首筋にその舌が這わされるのを感じてぞくりと熱が走った。
 金糸が頬を掠めてくすぐったかったが、それに勝る今までに感じたことの無い強い快感に頭が霞んで、空気に流されそうになる。
 見上げると暗い炎を灯した浅葱色の目が此方を見据えていて、獣に睨まれた様なその圧迫感に息が出来なくなった。
 
 「…………ペンギン」
 「…………ん」
 「…………ごめん」
 
 断続的に降り注ぐ口付けに思わず目を閉じると、罪悪感に塗れた謝罪の言葉が耳朶に響いて、瞬間はっとしたようにペンギンは目を開いた。
 
 「…………な」
 「…………ん?」
 「…………ざけるな、はこっちの科白だ!」
 「ぐっ」
 
 開いた右手で力一杯に腹を殴りつけると都合良く拳は鳩尾に入り込んだ様で、うめき声を残してキラーはずるずるとへたりこんだ。
 覆い被さる重さが非常に重いので前例を以てその体躯を横に転がすと、先程までの熱が嘘のように冷めたような目をして、恨めしげに此方を見る彼が居た。
 
 「お、前なあ…………」
 「…………」
 「謝る位ならっ、こういうことするな!」
 「…………ごめん」
 「というかだな、俺が本気でお前に別れを告げるとでも思ったのか?!」
 「…………はぁ?!」
 「日付見ろ!時計!!」
 
 言われるがままに傍らの携帯電話を開くと、時刻は零時を少し過ぎた所だった。日付は、
 
 「…………四月一日…………」
 「エイプリールフールだよ、馬鹿」
 「…………」
 「…………おい、キラー?」
 
 わなわなと震えだしたキラーを見ておそるおそる声を掛ける。
 
 「なあ…………キ、わ」
 「…………っ、見るな」
 
 そっと肩に手を置こうとすると思った以上の力で腕を掴まれて、そのまま腕の中に閉じ込められてしまう。
 慌てて身体を離そうとするも、後頭部に宛がわれた手の力が強くて身動きが取れない。
 結果その表情を見ることは叶わなかったが、その不安定な声音から今彼がどんな顔をしているのか想像に難くは無かった。
 
 「…………別れるとか、そんなこと」
 「…………悪かったよ」
 「…………泣くかと…………っ」
 「あー、はいはい」
 
 痛いほどの力を帯びた腕に抱き潰される心地がしたが、それ以上に罪悪感が募って、リアクションはぽんぽんと柔い金糸を撫ぜるに留まってしまう。
 
 「…………けど、お前も悪いんだぞ」
 「え?」
 
 息を吐きながら観念するように呟かれて、キラーは漸く羽交い締めからペンギンを介抱し不安げな声で疑問符を挙げた。
 改めてみるその顔は少し朱に染まっていて、先を促すようにその頬を撫ぜるとペンギンは渋々と言った体で続きを語る。
 
 「…………お前が、俺に手を出して来ないのは本当じゃないか」
 「…………それは」
 「どうせ、無理強いして俺を傷つけたくなかったとか、そういうこと言うんだろこのへたれめ」
 「うっ」
 「俺だって…………俺だってなあ、別にそんな綺麗な関係を求めてお前の告白を受け入れた訳じゃないんだよ」
 「…………」
 「付き合い始めてそろそろ一ヶ月になるけど、一向にそんな雰囲気にもならないし、全っ然手ぇ出して来ないし。そこまで俺には魅力が無いのかと」
 「ち、ちが」
 「だから!いい機会だと思って確かめてみたかったんだよ!なのにお前…………いきなり押し倒すとかほんと…………」
 「…………すまない」
 「…………もう良いよ。拘ってた俺の方こそ馬鹿みたいだ」
 
 びくりと肩を揺らしたキラーに少し苦笑して、ペンギンはその唇に小さなキスを送った。
 驚いた様な顔が酷く小気味良い。
 
 「ほら」
 「…………何」
 「抱いてくれるんじゃないのか」
 「…………良いのか?」
 「だから、良いっつってんだろ」
 
 先を促すようにもう一度唇を啄むと、そろりと肩に手が掛けられて、伺う様に今度は柔い布団へと押し倒される。
 躊躇いがちに落とされた口付けに目を伏せて答えると、滑り込んだ舌が心地良かった。
 
 「…………ごめんな」
 「…………ペンギン」
 「エイプリルフールでも、人を傷つける嘘は吐いちゃいけないのにな。真坂お前があれ程取り乱すとは思わなくて」
 「…………お前は俺を一体何だと思ってるんだ…………」
 「ふふ、ごめん」
 「…………ペンギン」
 「ん?」
 「…………愛してるぞ」
 「…………嘘だったら許さないからな」
 「真坂」
 
 くすりと微笑んでやると、漸く安堵したように強張った頬が緩められる。
 肌に沿わされる冷たい指先の温度に目を閉じると、瞼に落ちた唇が少しくすぐったい。
 
 窓から滑り込む春風が、先を急くように髪を揺らすのを感じた。


 2012.04.01.