シュガースノウの憂鬱

 「落としましたよ」
 
 不意に屈みこんだかと思うと、すぐにペンギンは立ち上がった。
 手には淡い色の髪飾りが乗せられている。
 そのままくるりと振り向いて声を掛けた先に居たのは、連れだって歩く二人の女の子。
 驚いた様な顔をしたショートヘアに微笑みながら布製のアクセサリを渡す様は、宛ら優男そのものだ。
 
 「あ、ありがとうございます」
 「いいえ。折角綺麗に飾っていらっしゃるのに、崩してしまっては勿体無い」
 
 思いついたように女の手から渡したばかりの落とし物を取り上げて、何気ない仕草を以て髪に留め直してやる。
 そうする本人は至って真面目なのだが、無論される側は一体何が起こっているのかとただただ頬を紅潮させるだけ。
 それもその筈で、それなりの背丈を持ち清楚な雰囲気と柔らかな表情をした彼は、男の自分から見ても異性から持てそうな奴だと十二分に実感出来るのだ。
 相手が当の異性となればその印象はより深い様で、少し傾いてしまった髪飾りをいじり「よし、これで良いかな」なんて小声で零す彼の真摯な表情に彼女の瞳は随分と前から釘付けとなっていた。
 
 「もう、落とさないでくださいね」
 「は、はいっ」
 「まあ、髪飾りをひとつ落とした位で貴方の可憐さが失われる訳では勿論無いですけれど」
 
 くすりと笑うその横顔は、そろそろタチが悪い。
 
 「あ、あのっ」
 「何ですか?」
 「この後、」
 「行くぞ」
 
 真っ赤になりながら上げられた少女の呼びかけを無情にも遮り、キラーはペンギンの腕を掴んでずいと歩きだす。
 連れのロングヘアの視線が酷く痛かったような気もするが、俺の心の痛みに比べれば大したものでもない。
 
 「何だよ、そんなに急いで」
 「…………全く、お前と言う奴は…………」
 
 随分と歩いてから絡めた腕を解いてやると、歩行スピードに些か難があったのか、少し息を上げてペンギンが問うた。
 掴んでいた方の腕が柔らかではあるが擦られているのを見て、そんな余裕も無かった自分が僅かに情けなくなる。
 
 「人助けが悪い事と言うつもりは決して無いが、その、何だ」
 「?」
 「言い方というか、やりかたがあるだろう。もう少し…………」
 「…………俺、何か不味い事した?」
 「…………」
 「何だよ、はっきりしないな」
 
 ペンギンは相当な誑しである。
 
 先ずマスクが甘い。声が甘い。物腰が柔らかく、口調が甘い。
 あまつさえさらりと相手方を褒めるのが美味いので、大抵の女性は言葉を交わせばたちまちに彼が自分に"そういう"気があるのではないか、なんて勘違いしてしまうもので。
 
 しかし大切なところは、当の本人がこれら一連の事実に関して全くの無自覚だと言うことだ。所謂"天然"という奴である。
 すっかり舞い上がって、否、勘違いしてしまった女性に所謂"逆ナン"という物をされても、それが自分の思わせぶりな発言に起因するものであると気付くことが出来ない。
 だから頬を染めて言い寄る女性に上手い対応も出来ず…………否、そもそも自分が女性から"そういう"目で見られていると言う事実にさえ、彼は勘づきもしていないのだ。
 従って先程のような事件が発生しても、例え連れ立っているのが恋人の自分であってもへらりと着いて行ってしまうのがペンギンという男なのだった。
 その実例は、先立って嫌という程経験済み。
 
 だからその苦い思いを今度こそ避けるべく、少女の若い声を遮った無粋な判断をどうか許して頂きたい。
 
 「ペンギン」
 「何?」
 「俺の事、どう思ってる?」
 「な、何だよ急に」
 
 唐突に切り出した質問は、些か重すぎる愛の押し付けにも見えるかもしれない。
 実際その本質はその通りで、他の奴からペンギンがそういった対象として認識されたことに少し苛立っていた自分が居ることを否定は出来ない。
 
 その口説き文句はあくまで天然で、意図など全く無いと分かっていても、彼が他人に柔らかく微笑み声をかける所を見るだけで、どうにも胸の内で暗い想いが首を擡げるのを止めることが出来ないのだ。
 しかしその一方で、そんな困った彼の天然さをも愛している自分が居る。矛盾とは言わないで欲しい。
 …………全く以て重い男だと我ながら吐息をつくものの、こればかりはどうしようもないのだから。
 
 「…………ごめん」
 「…………さっきから何なんだ、だから」
 「お前のことが好き過ぎるって話だ」
 
 先程の問いに些か色付いた眦が更に彩度を上げる。
 流石に自分で自分の発言に照れを覚えて、ふいとその顔から視線をそらし歩き始めたキラーの服を、ペンギンが引っ張った。
 
 「な、何だ」
 「…………何か、よく分からないけど。俺がお前を不快にさせたんだったら、謝るから」
 「いや、別に不快になった訳じゃ」
 「お、俺、キラーのこと好きだから…………!」
 「!」
 「だから、ごめん。呆れないで欲しいな、とか…………」
 「…………全く、お前と言う奴は」
 
 薄く水の膜を張った瞳が紅潮した頬に酷く眩しくて、此処が公衆の面前で無ければ間違いなく押し倒していただろうとキラーは冷静に判断する。
 しかし齎された熱を沈めることはそう簡単で無く、一先ず今居るのは人の溢れる大通りではなく少し暗い路地だから、何て自分に言い訳にもならない言い訳をして、震える唇に少し掠めた触れ合いを残した。
 
 「っ」
 「そう思うなら…………そうだな。ま、精々俺を楽しませてくれ」
 「あ、ああ…………?」
 「夜にな」
 「!」
 
 かああ、と耳元まで真っ赤に染まった顔は今にも泣きだしそうだが、そんな表情も勿論愛おしい。
 泣き顔に欲情する様な嗜虐心が自分にあるなんて到底思い至りもしなかったが、先程の甘い表情が一転恥じらいと驚きに歪むのもまた興をそそると思ってしまった今となっては取り違いようも無い事実なのだろう。
 常人に見せる柔らかな笑顔とは違う、緊迫を孕んだその泣き顔は酷く綺麗で、彼のそんな表情を見ることが出来るのは自分だけなのだという事実もまた、狂おしい程に。
 これは人として少し不味いかもしれないと思う反面、来たる閨に彼の涙を拭うのが楽しみで仕方無くなっている自分が居て、気が遠くなる程の愛を込めて人知れず大きな溜息を吐きだした。
 
 「…………謝るのは俺の方かもしれないな…………」
 「何で?」
 「…………敢えて言わないでおく」
 
 不思議そうなその表情もまた好ましく、今度は浅い息を吐いた。
 矯正すべきは彼の性格で無く自分の性癖なのではないだろうか。
 しかしそんな自分をも彼は愛してくれるに違いないと心のどこかが確信していて、繋いだ手もそのままに浅はかな自惚れへ渇いた笑いを洩らした。
 
 「ペンギン」
 「何」
 「好きだぞ」
 「…………俺も」
 
 振り始めた忘れ雪は、舐めればきっと甘いに違いない。


 2012.03.06.