Gateway Drug

 がしゃん、と扉の閉まる音がして、キラーはひょこりと開け放たれたリビングの扉から廊下を覗いた。
 そこには少し縒れたスーツに身を包んだ待ち人の姿があって、自然顔が綻ぶ。
 コンロの火を消し、エプロンを外していそいそと出迎えに赴くと、後手に鍵をかけたペンギンと目が合ってにっこりと微笑んだ。
 
 「おかえり、ペンギン」
 「ああ」
 「飯、もうすぐ出来るよ。ちょっと待っててくれたらすぐ出せるけど……先に風呂入る?」
 
 さっき湯を沸かしたばかりだから未だ冷めていないよ、と付け加えると、ペンギンは何故かふうと息を吐いて、徐に言った。
 
 「お前が良い」
 「え」
 
 返された言葉の意味を解せずに首を傾げると、不意に襟首が引かれ姿勢が崩れる。
 重なった唇に暫し瞠目していると、不機嫌そうな瞳が酔いを誘うような光を帯びてキラーを見つめ返した。
 
 「キラー」
 
 掠れた声で名前を呼ばれて、何が何だか分からないままに脳の何処かでぷつりと線が切れる音がする。
 求められるまま深く舌を絡ませれば、喉の奥からは情事の闇を思わせる甘い喘ぎが洩らされて、知れず背筋をぞくりとした物が走るのを感じた。
 
 
 +
 
 
 「…………で?」
 
 わしわしと濡れた髪を拭いながら自室に足を踏み入れると、ベッドには気怠い顔をしたペンギンが腰かけていた。
 結局あのまま、リビングの電気も点け放し、夕食の用意も出し放しでなし崩し的にベッドへ縺れ込んでしまって、時刻は深夜。
 理性を保てず流されてしまった自分に嫌悪を覚えると同時に、らしからぬ彼の行動に不可解を隠さずキラーはペンギンの眼前に膝を折った。
 
 「何かあったのか?」
 「…………」
 
 拗ねたように俯くその表情が幼くて思わず相好を崩すと、がばりと首筋に手を回され引き寄せられる。 されるがままに身体を預け、やり場のない手を背に回し暫くさすってやると、やがてペンギンはぽつりと言葉を零した。
 
 「…………ごめん」
 「何故謝る?」
 「俺が、好き勝手してばっかだから。お前を振り回してる」
 「…………甘んじて振り回されているのは俺なんだから、謝らないで欲しいな」
 「…………じゃあ、ありがとう?」
 「その方が俺としては嬉しい」
 
 腕を解き、にこりと笑いかけると漸くペンギンの頬に表情が戻る。
 行為の間中、何かから逃げるように快楽に溺れ苦しげな表情に熱を浮かべたその姿は確かに官能的であったものの、その不安定さに心の何処かが軋む様な思いをしたのもまた事実だ。
 けれど、そんな氷の面をこうして今溶かせただけでも、無為に思えた行為にも意味はあったと言えるのだろうか。
 甘え下手な彼が恐る恐る此方へ手を伸ばすのが、宛ら凍えた子猫が隙から此方を伺う仕草に似ていて、考える暇も無くキラーはその痩身を腕の中に覆い込んだ。
 
 「な、何だよ」
 「うーん…………ペンギンが好きだなあと思って?」
 「…………ふん」
 「俺、ペンギンになら何されても大丈夫だから。振り回したいときに振り回してくれて良いんだよ」
 
 面と向かって「辛い時は頼れ」なんて言えば、天邪鬼で意固地な彼は余計に殻を厚くして弱みを見せまいと虚勢を張るのだろう。
 それが分かっているから、キラーは只不思議と言わんばかりの顔をした彼に微笑んで、曖昧な言葉で沈黙を満たす。
 
 「どうする?未だ夜明けまでは時間があるから、腹減ってるなら御飯用意するけど」
 
 ついた膝を立てて立ち上がろうとするシャツの裾がくいと引かれる。
 リビングを向いていた視線を元に戻すと、目を泳がせたペンギンが言い難そうに口を開いた。
 
 「…………飯は、明日で良い、から」
 「うん」
 「…………一緒に寝てくれたら、嬉しい」
 
 精一杯の愛情表現は相変わらず遠まわしで、その一言を発するのに使われた時間は永遠に続くかと思われるほどに長かったが、そんなことは構わない。
 今は只、自分が彼の情緒安定剤になれているのだという事実が嬉しくて、未だ少し不安な目をした彼の肩を抱きキラーは笑って言った。
 
 「明日の朝は何時?」
 「…………平時出社だから、8時に家を出る」
 「じゃあ7時15分に朝飯で良い?7時前に起こすよ」
 「…………有難う」
 
 そっと薄い布団を肩口まで引き上げると、ペンギンは少し複雑な顔をする。
 
 「依存症って治せないものなのかな」
 「…………ごめん、唐突過ぎてちょっと意味が分からない」
 「まあ、別に良いんだけど」



 2012.07.14.