BALLAD to

 薄暗い路地を練り歩き、目的の建物へ辿りついたのは開演も間近に迫った頃だった。
 
 「…………機材を忘れるって、アマチュアとはいえ仮にもギタリストとしてどうなんだ」
 
 インディーズのミュージシャンとはいえ、その人気は絶大だと聞く。
 ファンの暴動に対する為かは知らないが、裏口で睨みをきかせた屈強な警備員はそれでも事前に話が通されていたのか、すんなりとペンギンを屋内へ案内してくれた。
 がらりとゴールの扉を開け、一人控室に残る背を見てペンギンは呆れたように呟く。
 
 「ペンギンなら、絶対持ってきてくれると思ってたから」
 
 にこりと笑って、ステージ衣装に着替えたキラーが言う。
 ずしりと重いジュラルミンケースを渡しながら、ペンギンは初めて見るその姿に不本意ながら暫し見惚れてしまった。
 些か露出の多いのが気になるが、文句のつけようも無いくらいに衣装はその痩身に映えている。
 
 キラーの奏でる音をペンギンが聞いたことは無い。
 一度ステージに立つ彼を見てしまったなら、きっと訳も分からない程の感動に囚われて、只管な絶賛を浴びせてしまうに違いないと、ペンギンは確信している。
 けれど平素から音楽をあまり聞かない自分が彼の創る音を耳にした所でその真価はきっと分からないだろうし、分かりもしないのに称賛を投げるのはその道を進む者への冒涜に違いない。
 そんな自分に、彼のステージを見る資格は無いとペンギンは思っていた。
 
 「お前、その言い草だとまるでわざと忘れたみたいじゃないか」
 「え?」
 「機材」
 「…………ばれた?」
 
 衒いも無い返答に、一時思考を頭蓋の片隅に追いやり呆れたように溜息を吐いた。
 
 「…………わざと忘れ物をして、俺に届けさせたと」
 「悪かったとは思ってる」
 「…………何のために。理由も無くそんなことをする程、お前は馬鹿じゃないだろう」
 「ペンギンに、どうしても俺のライブを見て欲しくて」
 「なら直接そう言えば良い」
 「うん。でもきっと、そうしたんじゃペンギンは来てくれないと思ったんだ。信じてない訳じゃない、けどペンギンは、自分が正しくないと思う事や理に適わないことは絶対にしたくない性質だろう?」
 
 開けたことも無い胸中を見透かしたかのように的確な推測へ目を見開くと、キラーは困った様に微笑んで、
 
 「俺、ペンギンが思ってる以上にペンギンのこと、見てるから」
 
 と、少しはにかんだ。
 
 「今日のライブ、一曲だけ俺が歌うことになったんだ。キッドに頼み込んだら、一曲だけだぞって。出演時間も然して長くないのに、優しい奴だ」
 「…………何で、」
 「ペンギンが音楽に――曲の構成とか音作りとか、歌の巧拙とか、そういうのに疎くても、そこに込めた想いを言葉にすれば、俺が一体音楽に何を求めているのか、音楽を通じて何を伝えたいのか、きっと分かって貰えるんじゃないかなと思って」
 「…………お前、歌えるのか」
 「上手くはないけど、一応ね」
 
 はは、と乾いた笑いを洩らした後に、酷く優しい目をしてキラーは言った。
 
 「ペンギンの事を想いながら、歌うからさ。ホールの端の方からで良い、一瞬でも良いから、見てくれると嬉しいな」
 「…………遠路遥々、忘れ物を届けに来たんだ。ついでに曲のひとつやふたつを聞く位の時間を取った所で、然して予定に狂いも出ないだろう」
 「有難う」
 「仕様も無かったら即刻帰るからな」
 「うん、頑張る」
 
 ぎゅ、と腕を回し来た恋人の背をあやすように叩いて、ペンギンは言った。
 
 「見てるから」
 「うん」
 「しっかりやってこい」
 
 演奏された激しい曲のいずれもをペンギンは知らず、刻まれる早いビートに高まる観客のテンションをペンギンが共有することは出来なかったが、青みがかった穏やかなライトの下に響いた情熱と哀切のバラードは、確かに何かをペンギンの胸の内に残した。
 スポットライトの光をきらきらと跳ね返す金の髪も、激しい演奏に乱れた着衣も、情欲を灯した様に煌めく青の瞳には霞んで見える。
 一時も絶えることの無かった視線の交わりにペンギンはひとり薄闇の隅で顔を赤くしたのは言うまでも無い。
 
 終演の後、余韻も抜けぬホールを急ぎ足で出て、未だ冷めない頬の熱を夜風に溶かしペンギンは帰路についた。
 やはり上手い具合に賛美の言葉は浮かばないが、暖かな部屋と作りたてのつまみ、勝る労いは無いだろうと、無意識に冷蔵庫の中身を思い浮かべる自分へ口の端の苦笑を与えてみる。
 否、そんなことよりも意気揚々と帰宅したその頬へ真っ先に口付けでも送ってやるのが、気障な演出家殿の出迎えとしては似合いのスタイルなのかもしれない。
 



 2012.11.03.