白銀の糸
唇に当たった小指から硬い感触が伝わって、寝惚け眼でペンギンは己の手に視線を向けた。
「あ?」
凡そ男らしからぬ先細りの指に光ったのは、僅かな細工の施された白銀の指輪だった。
ベッドサイドから射す薄暗い橙の光を浴びて、不思議に煌いている。
遠慮気味に嵌められたささやかなブラックオニキスが異彩を醸すようだ。
「これ…………」
「知っているか?」
投げた筈の疑問符は綺麗に空中で撃ち落とされて、しかし兆弾に然程の痛みも感じないまま、眼前の秀麗な顔に暫し注目を集める。
「幸福は、右の小指から入り、左の小指へ抜けるそうだ」
「へえ」
「だから、左の小指に指輪を嵌めれば、幸せが逃げるのを防ぎ内へ留めておけるのだと聞いた」
「誰から?」
「風の噂だ」
「ふうん」
「真偽は定かじゃないが、信じて不快な話でもない」
「だから、これを俺にくれるのか」
「ああ」
「俺はいらない」
「…………」
「こんなもの、いらない」
言うなりするりと指輪をはずしサイドボードに置く俺を、キラーは只無表情で見ていた。
目は口程に物を語るとは良く言ったもので、幾ら顔面の筋肉を硬直させた所で瞳に浮かぶ少しの寂寞を隠す事は出来なかったようで。
言葉数が足りなかったことに気付いた俺は、僅かに笑ってその己よりも一周り大きな両の掌に己のそれを宛がい、指を絡めた。
「俺の左小指から抜けた幸せは、お前の右小指から入るし、お前の左小指から抜けた幸せは俺の右小指に入るんだ。俺の中で留めてしまっては、お前に幸せを届けられないじゃないか」
にこりと微笑んで言った直後から、猛烈な羞恥が襲って耳が熱く火照るのを感じた。
こんなことを己に言わせる相手が現れるなんて、誰が予想し得ただろうか。
否、初めての邂逅で無意識にその動向を目で追う自分にからかいの笑みを向けた我らが愛しの船長に関しては、不問としたいところだが。
「お前は本当に馬鹿だ」
「何だって」
「お前と俺の幸せが廻り廻っているだけじゃ、そもそも2人で1人分の幸せを共有している計算になるじゃないか。お前はお前の幸せを留めて、俺は俺の幸せを留めれば、2人分の幸せを2人で使うことができるのに」
「馬鹿はお前だ。ばーか」
「何?」
「俺1人の幸せなんていらない。俺は、お前の幸せが欲しい」
「…………全くお前と言う奴は」
豊かな金糸に紛れた耳殻も己と同じように綺麗な朱に染まっているのが見えて、少し愉快になった。
「ま、折角だから指輪は貰って置いてやるよ」
「そうしてくれ」
「…………明日の予定は?」
「不寝番、だが」
「じゃあ、昼。買い物に行こう」
「?」
「俺の幸せだけが留まって、お前の幸せが抜けてしまったんじゃ意味が無いだろう?」
「…………違いない」
何が面白いのか、人が真面目に話しているにも関わらずくすくすと笑い続ける武人に軽い蹴りを入れてやる。
それでも笑いは止まらなくて、少し機嫌を損ねてやると諂う様に差し出された口付けが酷く暖かかった。
2011.09.18.