陽のあたる坂道を、君と
「あれ」
新世界へ踏み出すに辺り、改めて航海術の指南書でも買い漁ろうかと足を向けた先。
古書の香りが充満するお世辞にも綺麗とは言えない店の中で、見た人影を見つけた。
「キラー」
店内には彼しかいなかったので別段声を潜める必要性も無いのだが、何となく大声を上げるのも憚られたのでこっそりと呟いてみる。
仮面に隠されても聴覚は衰えていないらしく、聞かせる気もなく落とした言葉に彼は確かに顔を上げた。
「何だ、ペンギンか」
「何だ、とは挨拶だな」
「いや、深い意味は無いんだが」
「お前も本を買いに来たのか」
「ああ…………立ち寄る先々で古書店に寄るのが趣味でな」
「へえ、本読むのか」
「…………何だ、その、さも"意外です"と言わんばかりの声は」
「いや、だって意外だし。そんな仮面してて文字が追えるのか?」
「余計な世話だ…………そういうお前こそ、わざわざ本を見るためにこんな街外れまで来たのか」
「仕方ないだろう、航海術の本を扱っている店は此処しかないんだから」
「何だ、お前航海士なのか」
「あれ、言ってなかったか?」
「ログポースも着けていないじゃないか」
「戦闘の時邪魔になるからな。部屋に置いてある」
「ふうん」
「あ、ちょっとそこ退いて」
言うなり決して大柄とは言えないキラーの身体を押しのけて、ペンギンは書架に手を伸ばした。
少し機嫌を損ねた様な気配を隣から感じたが、気付かないふりをして本に没頭する。
「…………凄いな、こんな希少本が放り出すように置いてあるなんて」
「何だ、そんなに貴重な物なのか、それは」
「ああ。数百年前の代物だ」
「…………今更そんな本を読んで、得るものがあるのか?」
「航海を馬鹿にするなよ?先人の知恵は借りるに限る――――特に、これからの海では今までの常識が全く通用しないからな。少しでも知識を増やしておきたいんだ」
そう言う間にも次々とその手に本を重ねて行くペンギンを、半ば呆れたような目で見るキラー。
「それ、航海の本じゃないぞ」
「別に仕事の為の本しか読まない訳じゃない。趣味と実益を兼ねたものだって読む」
「それにしても、心理学か」
「うちの船長は外科専門だからな。長旅にあたって一人ぐらい船員のメンタルケアが出来る奴がいた方が良いんだよ。悪いか」
「…………別に文句を言っている訳ではないだろう」
「あー、これだけの品揃えなら有ると思ったんだがなー…………やっぱり無いか」
「何か探し物があったのか」
「ああ。ジョン・デルタっていう心理学者の本が欲しいんだが、何処で探しても無いんだ。まあ、北に居た頃ちらりと名前を聞いたことがあるだけだから、真坂グランドラインの外れで見つかるとも思ってなかったけど」
「ジョン…………」
「キラー?」
「その本なら、確か持っている」
「お前がか?」
「ああ。何処で手に入れたのかは覚えていないが、確かにそんな名前の学者の本を読んだ気がする」
「へえ…………」
「要るならやるが?船に戻ればあるから」
「本当か!」
「ああ…………って、おい」
顔を輝かせるのは良いが手元には気を付けろ。
いつの間にかうず高く積まれた本はペンギンの僅かな動揺でいとも簡単に崩れて、キラーは雪崩れたそれを慌てて受け止める。
ずしりと重いハードカバーに少し顔を埋めると、未だ興奮冷めやらぬといった体でペンギンが急き立てた。
「今から取りに行っても良いか?!」
「か、構わないが…………取り敢えず買うなら買って来い。その足でうちの船に寄って帰れば良いだろう。荷を運ぶのは手伝ってやるから」
気圧されたように返事をするキラーに、ペンギンは満面の笑みで言った。
「ありがとう!と、取り敢えず金払って来るから!先行くなよ!」
普段の冷静沈着な彼からは想像もできない、まるで子供が跳ねる様に朗らかな様に眼を疑う。
スキップこそしてはいないものの、落ち着きのある振る舞いからは到底掛け離れた足取り。
本当に本人かと勘繰り始めた所でキラーに判断など出来る筈もなく、はあと一つ息をついて先に店を出ることにした。
「待たせた」
硝子扉を引いて出てきた両腕には一杯に本の入った紙袋が三つも抱えられていて、ひとつを残して残りを両腕に預かってやると、今度ははにかんだ様な笑みで謝礼の言葉を返される。
不意に胸の内に温かいものが広がった様な気がして、奇妙なその感覚に首を傾げながら、青空の下を行くのだった。
2012.02.02.