十一番目の少し前
『次は 南海芸術大学前 南海芸術大学前 お降りの方は降車ボタンを――――』
はっと物思いから覚めると、先の信号の向こうに降車先のバス停が見えた。
慌てて降車ボタンを押し、身支度を整える。
ふと隣を見ると、痩身がシートに沈んでいた。寝息の途切れる気配はまるでない。
「あの、俺次降りるんですけど…………」
試しに声をかけても、案の定固く閉じられた瞼が持ち上がることも無く。
柔らかに肩を叩いてみて、少し力を込めて揺さぶって見ても一向に目が覚める様子も無い。
「参ったな…………」
キラーは決して情に厚すぎる訳でなく、しかしかといって薄情な訳でもない。
頼まれごとをすれば断れない性格で、その為級友の尻拭いをする羽目になるのはいつものことだ。
だから一度起こしてくれ、と言われた以上、放って行くのは酷く気が引ける。
「…………」
徐にポケットから携帯電話を取り出し、メールの送信画面を開いた。
周囲に精密機器を体内に埋め込んでいるような老人も見当たらないので、ご遠慮願われている車内操作にはほんの少しの間目を瞑って貰おう。
アドレス帳から目当ての名を呼び出し、簡潔な文章を手早く打ち込む。
+
「ん…………」
目を開けると、車窓から通い慣れた大学の門扉が見えた。
コールも中程で降車ボタンを押す。
ふと隣を見ると、幾許か前から目にとめていた金糸が靡いていて、刹那思考が止まる。
「ああ、起きましたか」
「…………降りてなかったのか、あんた」
「起こしても起きなかったんですよ、貴方。だから貴方の降車駅でもう一度起こしてみようかと」
「それでわざわざ」
「ええ、まあ」
「…………悪かった」
「俺が勝手にしたことですから」
速度を緩めたバスの中を進む。
満員だった車内は幾らか空いていて、易々とテロップを降りることが出来た。
地に足を付けると、後ろから先程の声が運転手を労うのが聞こえた。
大方此処から反対車線の同系統に乗り、降りる筈だったバス停へ向かうのだろう。
「あんた、南海芸大の学生なのか?」
「ええ。二回です」
「俺と同い年だな」
「貴方は、北海医大の?」
「ああ」
「優秀なんですね」
「勉強だけ出来たって何も良い事はないよ」
中々変わらない歩行者信号機を見つめながら、他愛もない話をする。
時刻は1限開始の15分前。遅刻せず教室に滑りこめそうだ。
「それ」
「え?」
「敬語。同い年なんだから、使わなくて良いだろう」
「そう、ですね…………否、そうだな」
「俺はペンギン。あんたは?」
「キラーだ」
「殺人鬼?」
「良く言われる。綴りも同じ」
「にしてはらしくない顔だけどな」
「名前程可愛い顔をしていないあんたに言われたくはない」
「ほっとけ」
横断歩道を歩きながら行われる言葉の往来は、さながら級友との間で行われているかのように軽やかで。
人見知りでこそ無いものの決して社会性は高くないと自覚しているペンギンにとって、酷く新鮮な経験だった。
「間に合うのか、授業」
「ああ。午前は実習だから。遅刻欠席のカウントはないし、課題が終わらなければ放課後に残れば良いだけだ」
「そうか…………本当に悪かった」
「いいんだ。大したことじゃない」
「じゃあ」
「ああ」
ひらりと手を振りバス停へ歩を進めるその背がどうにも気になり、普段荒げもしない声を精一杯に使ってしまった。
「キラー!」
「何だ?」
振り返ったその表情は本当に何故呼び止められたのか分からない、とでも言わんばかりに澄んでいて。
「また、明日」
「…………ああ。じゃあな」
少し顔をこわばらせて叫んだ言葉は上手く風に乗ったようだ。
はにかみと共に聞こえた返事は、つまらない日常にほんの僅かな罅を入れてくれる欠けた刃のように心へと沈みこんだ。
2011.09.18.