狭間に黒
言葉数も少なく、むすりとしたままのキラーを連れまわして幾時間。
買い物に付き合ってくれと言い出したのはあちらなのに、待ち合わせの5分前に挨拶を交わしてからというもの、ろくに目さえ合わせてくれないのだ。
何か気に障ることをしてしまったのだろうかと、最初の数十分は只管に悩んだが、どうにも思い当たる節が無い。
かといってさりげなく要因を問うたところで答える気は無いらしく、不機嫌な表情のままさらりと流されてしまった。
「…………」
「…………」
「…………なあ、キラー」
「…………何だ」
「いい加減、言ったらどうだ。何でそんなに怒ってる」
「…………別に怒ってなんか」
「いいや、もうその科白は聞き飽きた。明らかに怒ってるだろう」
「だから、別に怒っている訳じゃないと」
「…………俺が何かしたのか」
「…………」
「…………なあ」
「…………から…………だ」
「え?」
「…………から、怒ってるんだ」
「…………ごめん、もう一回」
「お前が、指輪をしないから」
困り顔で言うペンギンに、とうとう耐えかねたかのようにぽつりとキラーは言葉をもらした。
しかし言われた当の本人は未だその意味が分からないようで、きょとんとしたまま小首を傾げて不可思議な顔をしている。
「この間、誕生日にやっただろう」
「!」
アクアマリンが小さく彩る、細いシルバーの指輪。
丁度今キラーの右薬指に嵌っている、ブラックオニキスのそれと同じデザインの、言うなればペアリング。
徐に腕を伸ばして手首を掴むと、少し驚いた様な顔をしつつも漸く心当たりに辿り着いたらしい目の前の恋人は、何の装飾も施されていない白い指を微かに動かした。
「あー…………あれ」
「どうしてつけてくれない?気に入らなかったのか」
「違う…………嬉しかったよ、すごく」
「じゃあ、何で」
「…………」
「…………失くした、か?」
「そ、そんな訳ないだろう!お前に貰った物をそう簡単に失くしたりするか」
「…………」
必死になる余り思わず零れた最上級の褒め言葉にキラーはひとり、仄かに頬を染める。
しかしここで引き下がるわけにはいかない。
ペンギンに指輪を贈ったのは、勿論恋人同士の証としたかったというもあるのだが、それ以上に、キラーにとっては軒並みならぬ理由があったからだった。
ペンギンは背が高い。
といっても、平均に照らせば別段飛び抜けているという訳ではないのだが、何せその痩身とスタイルの良さは他に類を見ない物がある。
加えて涼やかに整った造作と流れる黒耀の髪は異性の関心を得ない訳がなく。
並んで歩けば少なからず視線を感じるし、声を掛けられることもままあった。
金髪を長く伸ばした自分自身も決して目立たない方でないことは自覚していたが、それでも頬を染め携帯電話を握りしめた彼女らの本命が隣の男であることは容易に知れる。
気付いていないのは本人だけで、さらりと女の子をかわした後にからかうような色を乗せて此方を小突いて来るのはいつものことで。
まあ、それでも気付いていないならそれはそれで良いかと考えていた。
しかし最近になって…………特に、念願叶い付き合い始めてからは、異性どころか同性の視線が気になり始めたというのが正直なところなのである。
世の中のそこかしらに同性愛者が転がっている訳はないのだが、それでも街中を連れだって歩く度ペンギンに向けられる野郎からの視線がいたく気に入らなくて。
二人で歩いてこの様なのだ。何の対策もなく無防備に一人で歩かせるなど、到底出来た芸当では無い。
かといってこれが過度の心配と言いきれないのだから困っている。
幸い彼のピアスの数は右耳にひとつ、なんて可愛らしいものではないからその点から勘違いを生ませることは無いだろうが、兎角所有印のようにその指へ証を嵌めこめば不躾な視線も幾分減るのではないかと、何とかに縋るかのような気持ちで装飾具を送り付けた、というのが本音なのだった。
指輪を嵌めてやった時の照れる様なはにかむ様な笑顔は酷く眩しかったし、揃いの指輪を嵌めると言う特別な行為に満たされた心地がしたのも事実である。
しかしそれ以上に、周囲にこの男は自分の所有物であると、キズモノなのだと見せつけることが出来るようになったことが何より嬉しくて、ペンギンの細い指に光る銀を目にする度幸福な、それでいて何処か少し暗い喜びが湧いた。
なので今現在、その光が失われていることに関して、言いようのない苛立ちを覚えている。
そしてこれはきっと復活したように思われる(大方自分の被害妄想であることは重々自覚しているのだが)他者からの視線だけが原因では無くて、身勝手な言い分ではあるのだが、期待を裏切ったペンギンにも少しばかりの面白味の無さを感じていることに起因する部分も大きいのだろうと、自己解析は進んでいるのである。
「…………揃いの指輪なんて、重いか。やっぱり」
「…………違うよ」
少し項垂れた風に言うキラーに、微苦笑を漏らして言う。
するとペンギンは徐に自身の襟元片手を突っ込んだ。
取り出された指先を見遣るとそこには確かに、銀のチェーンに繋がれたシルバーリングが覗いていた。
「ちゃんと持ってる」
「…………なら何故嵌めない」
「…………言っても怒らないか?理由」
「?怒る訳がないだろう」
躊躇うような素振りを見せながら上目遣う様を見て、キラーは不思議そうに言う。
やがて決心がついたかのようにペンギンが口にした"理由"は、キラーの予想の斜め46度を軽々と飛び越えて行きかねない物だった。
「…………サイズが合わない」
「は?」
「抜けるんだ。するっと。この間家の中で落として、冷蔵庫の下に入り込んだから大変だった」
「…………サイズはちゃんと測ったと思ったんだが」
「ああ。貰った時はぴったりだった」
「…………」
「…………」
「…………また痩せたのか」
「う」
「指輪のサイズが変わる程痩せるなんて、尋常な減量じゃないと思うんだが」
「…………」
「言え。何キロ痩せた」
「…………キロ」
聞くなりキラーは両手で顔を覆う。
1週間ほど、製作の為に学校へ泊り込むとは聞いていた。
当然、その期間寝食は疎かになる。
締切明けに体調を崩した彼の看病をしたのは一度や二度の話では無い。
しかしだからと言って…………その減り様は尋常ではない、と思う。
彼の体重を正確に知っている訳ではないが、凡その計算でも身長175センチメートルを越える男の重量が50キログラムを下回っていることは容易に図り知れた。
「…………ごめん」
「いや、謝られても困るんだが…………」
その身体が今現在一体どうやって動いているのか、非常に不思議だ。不可思議だ。
制作の締切は、昨日だったと聞いている。
「…………何だかもう、どうでも良くなってきたな…………」
「え?」
「いや、何でもない」
彼の健康、生活に照らせば他人の視線など知ったことではない様な気さえする。 月並みの節度は弁えているし、衣食住の管理に関しては心配することの無い彼ではあるが、一度何かに熱中すると全てを忘れてしまうのがペンギンの悪い癖だ。
見掛けからはとてもではないがそうも見えないので、余計に悪い。
限界は覚えているので倒れる寸前に我に帰り何とか命は繋ぐのだが、放っておいて一人にすると緊張の糸が切れた瞬間に身体を壊すのが男の常である。
「…………体調は」
「え?」
「風邪は引いていないのか、今回は」
「あー…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………はは?」
「…………」
深い息を吐いて無言で黒髪の下の額に手を宛がうと、予想通り仄かな熱を帯びていた。
よく見れば眦も平素より余分に潤んでいて、色付いた頬と合わせて見た途端きゅんと胸を弾ませた自分を、こんな状況であるのにと冷静に叱咤する。
というかそれどころでもなく、ここに来るまでその不調に気付いてやれなかった自分が酷く情けない。
「…………帰るぞ」
「え、でも、買い物」
「俺の買い物なんていつでも出来る。それよりお前の体調を整える方が先だ」
「…………ごめん」
「?」
「いつも迷惑かけてるし、それに、指輪も」
「…………迷惑を感じているなら端からお前と付き合ったりはしないし、第一これは俺の身勝手だ。指輪の件も気に病むことはない…………と言いたいところだが、そこは早く戻して貰わないとな」
「…………ん」
「全く、それ以上痩せてどうする。抱き心地が悪くなるだろう」
「!な、何を」
「本当の事を言ったまでだ…………まあ、どんなお前だろうと俺は構わないが」
そう言うなりキラーはペンギンの手を取り来た道を引き返す。
「キラー!」
「黙ってついて来い」
大の男二人が手を繋ぎ往来を行く光景は、世間からすると決して目を当てたい物ではないかもしれない。
しかしいつまでも躊躇いがちにその場から動こうとしないペンギンを急き立てるにはこれが一番の手段だったし、何より指輪をやった当初の目的がそれ以上に果たされていると思えば、嫌悪の眼差しなど生ぬるいものだ。
いっそこの一瞬の行為が人々の網膜に焼き付き好色の目線を遣ろう等と言う気を萎えさせることが出来るのなら、一石二鳥どころの話では無い。
「全く、何時まで経っても身勝手な奴だ」
呟く言の葉は、必死で後ろに追いすがる男に向けたものなのか、はたまた。
2012.01.07.