ネイビー・ブルー
愛すべき船長がいて、愛すべき仲間がいて。
それだけで何不自由は無いし、世界中の海を廻って敬愛するその人が全てを手に入れる瞬間を見ることこそが、彼に預けたこの命の目指す所であるのだと、本気で信じていた。
話せば馬鹿にされるかもしれないが、何にも代えがたいその志は例え命を擲ってでも、落とす訳にはいかない、存在意義とも言える程の重さを持っていた。
そしてそれは彼にもまた通じることで。
話したことも聞かせたことも、話されたことも聞かされたことも無かったが、全ての前提にそれがあることを、考えるまでもなく感じていた。
…………筈なのに。
「…………何で俺達は今こんなことになっているんだろうな…………?」
「何のことだ?」
何の変哲もない休日の午後。
窓からは温かな日差しが射しこんで、掃除の行き届いた清潔感の漂う部屋で、フローリングがその光を穏やかに跳ね返している。
居心地の良いソファに並んで腰かけて、見るとはなしにテレビの画面を見ながら、時折他愛のない会話を挟んで。
「解せん…………」
「だから、一体お前は何の事を言っているんだ…………」
見たこともない筈の風景や感じた筈の無い高揚が心に浮かびあがるのを不思議に思っても、不可解に感じたことは無かった。
物心がついて、様々な経験を通して、これが所謂"前世の記憶"という奴なのだと分かってからも、現実と混同するようなことは無かったし、記憶を抱えたままに新たな生を進むことにも然したる支障は無かった。
この男に出会うまでは。
「…………殺戮武人?」
「…………ハートの所の、クルーか?」
大学に入学して、初めの授業で偶々隣に座った男が、記憶の中にいた。
後先を考えず思わないうちに口を突いて出たその呼び名が凄まじく物騒なもので、彼に自覚が無かったなら一体自分はその後どうやってその微妙な空気を取り繕ったのだろうと考えれば今でこそ笑えるものの、まあ、ある程度先は考えてから行動すべきだと思う。
しかしそんな後付けの杞憂は無駄に終わって、自身同じく前世の記憶を引き継いでいた金髪の男は、驚いたように此方を見て言った。
「…………何だ、お前も"前の"記憶があるのか」
「ああ…………って、この時世にもなって未だにそんな奇妙な仮面を被り続けているのか」
「どうにも無いは無いで気になってな…………お前こそ、講義中には帽子を脱いだらどうだ」
「…………お前に言われたくは無いよ…………」
はあ、と小さな溜息をついて、殺した様な笑い声が聞こえて。
それからというもの互いの距離はつかず離れず、それどころか知らぬうちにどんどん近くなって…………近くなりすぎた様な気もする。
「…………なあ、キラー」
「何だ」
「前世でもさ、同じ船に乗っていたり、それか海賊なんてやってなかったら、今の俺達みたいに、俺達は俺達だったのかな」
「…………言っている意味が分からんが…………」
こつんとその肩に頭を凭せ掛けて呟くペンギンの髪を梳く。
「…………前世じゃ、俺の頭の中には兎角キッドの奴を海賊王にすることしか無かったからな。"もしも"の話をされても想像は出来ん」
「うん…………俺も同じだけど」
「俺の一番はキッドだった。仮にお前と親しくなる機会が存在したとしても、ただそれだけのことで、それ以上にはならなかっただろう」
「うん…………」
気付いた時には、キラーは自分の前で仮面を取ることに抵抗を見せなくなってた。
こうして二人でいるときにその浅葱の瞳が見えることは然して驚くことでも無くなっていて、それに気付いた時随分と自分は彼の深くに踏み込むことを許されているのだと感じたものだ。
けれど時折見せる、遠くに思いを馳せる様な茫洋とした瞳の色は自分ではない何処かを見据えているようで。
彼が手の届かない彼方へ消えてしまう様な、漠然とした不安を感じたことも、多々、ある。
「ペンギン?」
「俺も、一番は船長だった。この命は船長に預けていて、船長が俺のすべてだった」
「…………そうか」
「でも今は、お前に全てを託してもいいと思う」
「…………」
「…………」
ぽつりと呟いたその言葉がどういう意味を孕んでいるのか徐々に理解が及んで、ばふりと赤面する。
慌てて頭を預けた肩口から離れようとするが、回された腕に拒まれて完遂することは叶わなかった。
「は、放せ!」
「放さん。ああもう、何でお前はそうも可愛いんだ…………!」
「か、可愛くなんかねえよ馬鹿野郎」
「その照れ方、麦わらの所のトナカイにそっくりだ」
「何でお前そんなこと知って」
「好きだぞ、ペンギン」
どさくさに紛れて為された、もう聞き飽きるほどに耳に馴染んだ愛の科白に、性懲りもなく身体は脱力を覚える。
「…………何でこんなことに…………」
「俺がお前を愛しているから、それだけでは駄目なのか?」
「そういう意味じゃねえよ…………助けて下さい船長…………」
「俺達と同じように生まれ変わっているのなら、是非会いに行きたいものだな」
「船長にか?」
「ペンギンを貰い受けると」
「…………好きにしろ」
文句を言う事さえ面倒になってきて、邂逅の瞬間を恨む。
旋毛に落とされる口付けがくすぐったくて、腹いせに見事な金糸を思い切り引っ張ってやった。
「痛い」
「愛の証だ、黙って受け取れ」
2012.01.30.