DRACULA
「…………ん…………」
「起きたか」
目を覚ますと、室内は暗かった。
しかし閉められた雨戸の隙間から陽の光が射しているのを見て、昇陽はとっくの昔に済んでいるのだと思い知る。
「今、何時だ…………?」
「昼を少し回った所だ」
「そうか…………っ」
「無理をするな。座るだけでも辛いだろう」
喉の渇きを感じて、部屋の隅に置かれていた水差しに手を伸ばす。
しかし起き上げた身体は力を受け入れず、立とうとした体勢のままへたりと床に座り込んでしまった。
「…………」
「…………ほら」
キラーの手を借りて、何とかベッドに腰掛ける。
渡された硝子のコップにちらりと見上げると、昨夜よりかは幾分顔色の良くなっている気がしないでもないキラーが、困ったように此方を見ている。
「…………昨夜はすまなかった」
「…………お前が悪いんじゃないよ」
熱のままに蹂躙された身体は節々が痛く、腰なんてまるで立たない。
しかしキラーの紅い瞳と荒い息遣いが脳裏に蘇り、今やもう名残すらない首筋に空いた二つの痕をなぞると、酷く満たされた心地がする。
抑えることも出来ず上げ続けた喘ぎに喉も随分とやられていたが、それでもペンギンは柔らかに笑みを浮かべた。
「…………有難う」
「…………礼を言うのは此方だろう」
壊れものを触るかのようにそろりと回された腕が心地良い。
そのまま眼を閉じて身体を預ける。
「今日は」
「ああ…………もう一晩、泊まりの予約をしてきた。明日の夕刻に出よう」
「そうか」
「腹は減っていないか?朝食は持ってきて貰ったままにしてあるが」
「ああ、そうだな…………」
不意に強烈な眩暈が襲う。
身体を立てていることすら難しくなって、否応なしに倒れ込む体をキラーが慌てて支えた。
「大丈夫か?!」
「あー…………眩暈が、酷い。頭がガンガンする」
「…………そろそろまずいのは自分でも分かっているんだろう」
「うん…………」
「…………」
「…………心配するな」
ちゃんと飲むから。
落ち着いて言ったペンギンにキラーは少し瞠目する。
「飲むよ、ちゃんと。俺はもう人間じゃない。生命の連鎖だ。捕食する者とされる者がいるのが、この世の理。吸血鬼である俺が人間を餌にすることに、矛盾は無い」
「ペンギン…………」
「分かってたんだ。最初から。でもどうしても、出来なかった。けど今は違う」
お前と同じ所に立って、同じ物を見るためにそれが必要なら。
「…………そうか」
「取り敢えず今日はこのまま体力を温存しておくよ。どうせ夜にならなければまともに動けないだろう」
「…………そうだな」
「何だ、不服そうだな」
「いや…………」
「?」
「…………」
「何だよ」
「…………お前が女の首から血を飲む所なんて見たら、嫉妬に狂いそうだ」
「…………何だそれは」
返す言葉も無く渇いた笑みを漏らしたペンギンに、キラーは面白くもなさそうに言った。
「俺はお前のものだよ」
「…………」
「ついでに、お前も俺のものだから」
「…………そうだな」
「何だ、昨日までは散々人に血を飲めと言っていたくせに」
「…………あんなことをしてしまうと、感情に理性が付いて行かなくなる」
水の色を取り戻した瞳に、仄かな熱が宿る。
尖った爪で引っかかれた首筋がちりと痛み、そのまま流れるように先に付いた血の珠が唇に運ばれるのを見て、否応なしに顔が熱くなった。
「なあ、キラー」
「何だ」
「吸血鬼が吸血鬼の血を飲んだら、どうなるんだ」
「別に、どうもならないな。毒素がある訳でもない代わりに、効能もない。個体によって血の味は変わるから、美味いと感じれば只の娯楽になるし、不味いと感じれば拷問になるんじゃないのか」
「ふうん…………」
「何故だ?」
「…………俺の血、美味いのか」
「…………俺にしてみれば、極上の味だ」
「そっか」
冷めた様に言うキラーに喜ばしげな笑みを見せて、ペンギンは思いついたように言った。
「俺も、飲んでみたい」
「…………自分の血をか」
「何で自分で自分の血を飲まなきゃならないんだ。お前のに決まってるだろ」
「…………別に構わないが、味の保証はしないぞ」
「キラーの血なら、美味いに決まってる」
そう言って膝に乗り上げると、キラーは徐に羽織っていただけの上着を落とした。
無駄なく付いた筋が美しい肢体に少し眼が眩んで、何処かで熱が首を擡げるのを感じる。
「キラー」
「…………ああ」
熱を込めて名を呼ぶと、覗きこまれた浅葱の瞳は浮かされたような色をする。
ああきっと今、自分の黒曜の瞳も昨晩の彼の様にピジョンブラッドの紅へと染まっているのだろうと、不意に思った。
「ん…………っ」
そろりと突き立てた牙が、白い首を貫く。
滲みだした血は甘く、仄かな苦みが舌に酷く馴染んだ。
「っは、ペン…………ギ…………」
傷跡に舌を這わせたまま表情を覗くと、襲い来る快楽に歪んだ秀麗な面持ちがペンギンの嗜虐心を僅かに刺激する。
紅を付けたままの唇を相手のそれに宛がうと、耐え切れないと言わんばかりに執拗に舌が絡め取られた。
甘い血の味が混ざる唾液が零れるのを感じながら、飲み下せないことに少しの心残りと苛立ちを感じる。
一滴だって、彼の一部を無駄にはしたくない。
露わにされた胸板に垂れた微かな紅を舌で丁寧に舐め取ると、引かない快楽の波にキラーの腕がゆっくりとペンギンを押し倒した。
「…………お手柔らかに」
「…………善処する」
ぺろりと唇を撫ぜる舌が欲をそそる。
首筋に沿わされた指の感触に、ペンギンは静かに目を閉じた。
口内は未だ、甘い。
2012.02.06.