it7s too sweety 1
何をするでもなくだらりと過ごす時間の中で、ふいにペンギンが呟いた。
「なあ」
「何だ」
「今日、バレンタインって知ってた?」
ああそういえば、と今更ながらキラーも思い出す。
そして明日のスクールライフに思いを馳せて、少し重い息を吐いた。
本当に、本日が聖バレンタインの殉教を祝う日であることをキラーは忘れていたのである。
その日を厭うがゆえに、それらを連想させる類のものから目を背ける、あるいは視覚がそれ自体を認識しないよう切り替えられてしまったかのように、その事実はすとりとキラーの中から姿を消していた。
キラーはあまり甘いものが得意ではない。
けれどそんなことはお構いなしに、女子達は机に、ロッカーに、果ては靴箱にまでチョコレートを詰め込んでゆく。
地面の上をさらう靴底と同じ所に入れられた食物など誰も食べる気にはならないと思うのだが、そういった現実論理がジンクスに打ち勝つ日は未だ遠いようだ。
かくして、どういう訳か女生徒からの人気が耐えることの無かったこれまでの10年間、2月14日はキラーにとってただ厄日でしかなかったのである。
推薦入試が毎年14日に開かれる今の高校に入学してからはそんな危惧に悩まされることも無いと思っていたのに。
昨年の2月15日、靴箱を開けると同時に鳴り響いた紙包みの降る音が齎した憂鬱は未だ記憶に新しかった。
「今年も来たか…………」
「何だ、普通男はバレンタインに心浮き立つものなんじゃないのか?」
「幸せなことに俺はそういった普通とは無縁でな…………」
「…………まあ、言いたい事は分かるが」
恒例の惨状を昨年初めて隣で目の当たりにしたペンギンは、当初こそそのひきつった横顔を冷やかしに冷やかしたものの、キラーが真剣にそれらの甘味へ憂鬱しか抱えていないことを理解してからは、冗談でもからかい文句の類を彼にかけることをやめた。
甘党のペンギンとしてはこの上なく羨ましい身の上なのだが、行きすぎた度には最早憐憫の情すら感じる。
「…………手伝ってやるから。消化」
「…………大いに期待しているぞ」
「任せろ」
とはいえペンギンも、実はチョコレートの甘さはそこまで得意でない。
しかしこの状況でそんなことを口に出すのは少し憚られて、何より――――キラーへの"本命"チョコレートを少しでもその手から遠ざけられるのであれば、他生の無理は厭わないつもりだった。
つまり、そういうわけで。
「じゃあ俺からのチョコも要らないか」
「え」
俯いていた視線をがばりと上げてペンギンを仰ぐと、何処から取り出したのか白い指には小作りな箱が閃いていた。
「手作り」
「な訳ないだろ。何で俺がお前のために菓子作りなんてものに労力を割かなきゃならないんだ」
とはいうものの、彼がピンク色に塗れたバレンタイン特設コーナーで自分のためにチョコレートを厳選する労力を払ってくれたことは、その包み紙の小奇麗さから容易に推測できる。
感極まって涙を浮かべたキラーのそんな思考を読んだとばかりに、ペンギンはそっけなく言った。
「因みに、群がる女子に埋もれてチョコレートを選んだ訳でもないぞ?最近はネットショッピングという便利な物があってだな」
「…………」
一気に夢を壊された様な心地がしたが、気を取り直してもう一度その横顔を見る。
金のピアスが光る耳は僅か朱に染まっている様な気がして、改めて嬉しい気持ちが込み上げた。
「それ、俺が貰っても良いのか?」
「嫌なんだろ、バレンタイン」
「お前からだったら別だ」
「…………甘いの、嫌いだって聞いてたから。出来るだけ甘くないのを選んだつもりなんだけど」
そういってぶっきらぼうに手渡された包みの中に入っていたのは、シックな黒い箱だった。
開けると小さな板状のチョコレートが僅かばかり入っていて、包装の控えめな華やかさに中身の少なさから、相応に値の張る代物だろうと思わせる。
「有難う」
「…………一応、お前の"恋人"だからな」
顔が背けられてはいるものの、その手の文句を耳に出来ることは滅多と無いので、ますますキラーは嬉しくなる。
今すぐにでもその細い体を抱きしめてしまいたかったが、兎角貰った品を先に吟味するのが礼儀だろうと、銀紙の包みをひとつ開いて暗い茶のチョコレートを口の中に放り込んだ。
「…………?!」
途端、強烈な苦みに舌が収縮する。
チョコレートという響きから連想される甘い香りは微塵も感じられず、あるのは只凝縮されたカカオ独特の苦みだけだった。
「あんまり甘くないチョコレート、って調べたら、カカオ濃度の高い…………ほら、一時期流行っただろ?カカオ90%とか、78%とか。俺は甘いの以外食べないから味は知らないんだが、兎角甘くないっていう売り文句だったから…………キラー?」
何の含みも無い、ただ有りのままに事実を語るペンギンのきょとんとした顔を見ながら、キラーは静かに悶絶する。
確かに、これはこれでありだろう。チョコレートの風味が無い訳ではないし、寧ろ甘さを控えたカカオ濃度の高いそれはチョコレート本来の味を醸し出しているのかもしれない。
しかしその事実を踏まえて食べるのと、ただのチョコレートだと思って口に含むのとでは味覚の働く場所も違う訳で。
勝手に甘いものだと思い込んで口にしたがゆえにその独特の苦みは嫌と言う程口内に響いて、眉間に激しく皺の寄るのを感じた。
「…………美味く、無かったか?」
「そんなことは…………無い」
「…………無理しなくて良いぞ?」
少し残念そうな顔で言うその表情が堪らなくいじらしくて、思わずキラーはその唇にひとつ口付けを落とした。
そのまま接吻を深めると、絡んだ舌がカカオの苦みを口内へ運んだらしく、予想外の風味にペンギンが驚くような顔をする。
しかし一度重ねてしまった唇を易々と離す事は非常に惜しく、結果より深く交わった唾液が銀糸を伴って伝う頃にはカカオの風味も何処かへと消え失せてしまった。
「…………に、苦っ…………」
「…………これはこれで美味いのだとは思うが、何せ甘いという先入観が味覚に先行していたせいでな…………ちょっと…………」
「…………本当に無理して食わなくて良いんだぞ…………?」
「そんな勿体無い!凄まじく珍しいお前の素直な気持ちを一捨に出来るか…………!」
「…………棘が見えるんだが、その言い方」
頬を未だ紅く染めたままに言うペンギンはやはり酷く魅力的だったが、それ以上に折角受け取った贈り物を塵芥に化すことは躊躇われたので、兎角彼の手の届かない所へチョコレートを追いやった。
「だーかーら!無理して食うなって!捨てろ!」
「食えないことは無いと言っている!寧ろ俺には甘過ぎるくらいだ」
「言ってることが矛盾してるぞ!」
「だから」
憤るペンギンの唇を掠める様に奪って、困った様にキラーは笑った。
「お前が中和してくれるだろう?」
「…………はあ?」
「お前の唇は俺には甘過ぎて、そのチョコレートは苦すぎる。けれどどちらかと言うと甘過ぎる割合の方が強いから、中和しきれず結局俺の口には甘さだけが残る訳で」
「…………その滅茶苦茶な理論は一体何処から導き出されたのか、脳髄かち割って見てみたいな」
「またそういうことを」
幾ら仏頂面をしていても、身元の赤さと染まった眦の語る言葉を掻き消せる訳ではない。
くすくすと笑ったままその身を抱き込むと、観念したようにペンギンは大きく息を吐いた。
「もう好きにしろ…………」
「そんなことを言っていいのか?本当に好きにさせて貰うが」
「嘘。撤回」
「男に二言は無いんじゃなかったのか」
「うるさい!挙げ足を取るな」
「はいはい」
喚くペンギンに以前腕を回したまま、遠ざけたチョコレートの箱からもうひとつ包みを取り出す。
「今度は78%だから、然程苦くは無いんじゃないか…………さっきの、見直したら90%って書いてあったから」
「…………知らん」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………どうだ?」
「…………苦い…………」
「…………はいはい」
バレンタインデーという日に人並みの幸福を味わえる日が来るとは思わなかった。否、人並み以上と言っても決して過言ではないだろう。
仕方ないなあと言わんばかりの体で落とされた口付けは変わらずに甘く、ビターチョコレートの苦みを綺麗に解かせる。
唇に残った苦みに顔を顰めるペンギンの髪をひとつ梳いて、ちらりと見上げるはにかむ様な微笑に腕の力を少し強くした。
2012.02.14.