一触即発、未経験
「へえ、案外似合ってるじゃねえか」
夏も盛りを過ぎ、夜風が冷たくなる頃。
未だからりと暑い日中の日射しをやり過ごしながらペンギンが衝立の後ろで涼んでいると、廊下からひょこりとローが顔を出した。
文化祭なんていう浮かれた行事にうつつを抜かすペンギンではないが、クラス全員の協力が必要だと言われてしまえば渡された制服にも袖を通さざるを得ない。
数多の指名を裁いて午前中の客を何とかやり過ごしたのだ、クーラーボックスに冷えた飲み物で喉を潤す時間くらいは許されても良いだろう。
そう思って人気のないカーテンの影で休んでいたと言うのに、突如やって来た男は容赦なくペンギンを教室の外へと連れ出した。
「ちょっ…………ロー!」
「何だよ。仕事が終わったら一緒に見て回るって約束したじゃねえか」
「そうだけど……せめて制服に着替えさせてくれないか」
「何で」
「何でって…………」
きょとんとした顔で訊き返すローに困った顔をして、ペンギンは改めて自分の姿をまじまじと見下ろした。
"執事喫茶"と銘打ったクラス企画は、その名の通り男子生徒が仮装衣装の安い執事服を纏い訪れる客を持て成すウェイターとして様々なパフォーマンスをするというものだった。
させられる側としてはたまったものではないが、総じて女子というのは強い。
男子勢の反対も虚しくあっさりと生徒会の認可をも勝ち得た企画は、今もこうしてペンギンに黒の燕尾服の着用を強要している。
「恥ずかしいだろ、この格好…………」
「だから、何でだよ。似合ってるぞ?」
「似合うとか似合わないとかそういう意味じゃなくて!」
「もたもたしてるとハンコックが帰っちまうだろ。お前が会ってみたいって言うからわざわざ呼んでやったのに」
「…………え?」
聞き捨てならない科白を耳に挟んだペンギンが抵抗を止めると、ローは握っていた手首をぱっと離して嫌らしい笑顔で言った。
「ハンコックだけじゃねえぞ?九蛇女子の奴も何人か、ハンコックと一緒に来てるみたいだ…………如何いう訳かうちの文化祭が珍しいってな。さっきハンコックからメール貰った」
「どうしてそれをもっと早く言ってくれないんだ!」
「訊かなかっただろ」
「知りもしないのに何を訊けと?!」
「まァそう言うなよ…………今は多分、麦わら屋のクラスにでも行ってんじゃねえか?」
周辺高校の生徒に圧倒的人気を誇る九蛇女子高校の生徒達。
中でも生徒会長を務めるハンコックという女の人気は絶大で、風の噂に聞く"女帝"の称号にふさわしいその美貌を一度拝んでみたいとペンギンが零すのは日常茶飯事だ。
どういう事情か知らないが彼女がローの知り合いらしいと知った時から、いつか面会が叶うのではないかと心待ちにしていたが真坂本当に会えるとは思ってもいなかったので、影も今からペンギンの頬は想像出来ぬ期待値に堪え切れず緩んでいる。
「でも、何で麦わらのクラスに?」
「俺もよくは知らねェんだが…………ハンコックの奴、麦わら屋に惚れてるらしい」
「…………何で麦わら」
「だから知らねェっつってんだろ」
元より高嶺の花であることは承知しているので、ハンコックに想い人がいるという事実にショックを受けた訳では勿論ない。
ただ純粋にその相手がルフィであることに怪訝な顔をしたペンギンを一瞥して、ローも訳が分からないと言わんばかりに肩をすくめた。
「で、でも他の女の子もいるんだろ?」
「ああ、そうらしいな」
「それだけでも俺からすれば天国だよ…………男に言い寄られるのはもううんざりだ。そろそろちゃんとした女の子と交流が持ちたい」
「ふうん?」
夢見るような表情で呟くペンギンに、ローはにやりと笑いを零した。
「贅沢な奴だな」
「何処が」
「お前にはもう、十分美人な"恋人"がいるじゃねえか」
「…………あのな、ロー」
思わずはあ、と溜息を吐いてペンギンは言った。
「違うって言ってるだろ」
「何が」
「だから!あいつと俺はただの友達で別に恋人なんかじゃ…………」
「お」
「何をしておったのじゃ、ロー。遅いではないか」
「悪ィ悪ィ、こいつが歩くの遅くてさ」
凛とした張りのある声に思わず顔を上げると、ペンギンの目の前には少し困った色を湛えた白皙の美貌があった。
「こいつ、ペンギンって言うんだ。俺の友達」
「そうか。わらわはボア・ハンコック。ローの友人で、九蛇女子高校の在籍しておる」
「は、はじめまして」
その圧倒的なオーラと人並み外れた美しさに暫しペンギンが息も忘れて見とれていると、ハンコックはちらりとペンギンを一瞥した後ローに向き直って言った。
まるで小物を見るかのようなその不躾な目線にはしかし何故か嫌味がなく、ただ純粋に立つ位置と格が違う事をペンギンは肌で感じる。それを残念に思う余裕すらそこにはない。
「あっ!トラ男じゃねえか!」
「よぉ、麦わら屋…………いや、今日は射的屋か?調子はどうだ」
「へへっ。ウソップが作ってくれたこの割り箸鉄砲、よく飛ぶんだぜー!」
「へェ、長鼻屋は相変わらず器用なんだな」
「一杯人が来てくれてすっげェ楽しいよ。それにハンコックも来てくれたし、な?」
「ルフィ…………!そなた…………!」
にかっと笑う眩しい笑顔にハンコックが今にも崩れ落ちそうになる。
その様子を見ながらペンギンが教室の中を覗き込もうとした時だった。
「だから、俺はこんなもの絶対着ないと何度も言ってるだろう!」
「うるっせえなあ。つべこべ言わず腹ァ括りやがれ!男だろ!」
「男だから嫌なんだろうが!」
隣の教室から聞こえてきた怒号と騒音に、ローとふたりして顔を見合わせる。
「逃がさねえぞっ」
「好い加減に放してくれ!メイド喫茶なんて、女だけでやってれば良いだろう!」
「男女差別は良くねえぞ!」
「ならキッドにも着せてみろ!」
「男にそんな格好させて店やらせるとか犯罪だろ!」
「自分の発言を顧みるという行為をお前はしないのか…………というか、俺も男なんだが?!」
「お前は良いんだよ!似合うんだから!寧ろその辺の女より似合ってんだから!」
ぎぎぎ、と教室と廊下の境で繰り広げられるメイド服同士の騒乱は一種見物とも言えたが、それ以上にペンギンは騒ぎの張本人の姿を見て絶句した。
「…………キラー」
「っ、ペンギン?!」
思わず零れた言葉を耳ざとく聞きつけたキラーの目がペンギンの視線を捉える、と同時にみるみる内にその頬は赤くなり、ばっとキラーは顔を反らした。
「もうお前なんか知らねェ!」
不幸にもその時、捨て台詞と共にボニーに放されたスカートの裾は、十分な反動を以てその身体を廊下に放り出した。
「だ、大丈夫か?!」
「…………穴を掘って埋まってしまいたい…………」
慌てて駆け寄り手を差し伸べてやると、キラーは未だ激しく赤面したままで否応なしに応じる。
「お前にこんな姿を見られるなんて…………いっそ死んだ方がましだ」
くしゃ、と顔を歪めて俯いてしまったロー曰く"ペンギンの恋人"を、ペンギンは改めてまじまじと見直した。
長い金髪はすっきりとひとつに纏められ、すらりと長い四肢がフリルをあしらった袖口と、膝下丈のスカートから覗いている。
黒いニーソックスが左右ばらばらの長さに引き上げられていることや、背中のジッパーの上がり具合の中途さから余程無理にこの衣装を着せられたのであろうことがありありと見て取れた。
立ち上がったキラーの背はペンギンのそれよりも幾らか高い。しかし如何にもその肌の白さや髪の細さ、そして何より顔面の造形の良さに女装に伴う違和感は何処かへくすんでしまっていた。ボニーの言う通り、有り体に言えば酷く似合っている…………本人は断固として拒否しているが。
何より、所在なさげに伏せられた睫毛の長さと赤く染まった頬、潤んだ瞳が嫌にペンギンの動悸を煽った。
「…………」
「…………ペンギン?」
どくん、どくんと自らの脈が正常値を遥かに超えた速度で打つのを感じながらペンギンが心に浮かび上がった感情を必死に制御する一方で、キラーは心許無さそうにその顔を覗きこんでいる。
「あの、俺、出来ればさっさと着替えに戻りたいんだけど…………いつまでも公衆の面前にこの格好を晒すのは流石に嫌だ…………」
「…………」
呼びかけても一向に反応しないペンギンの肩をぺちぺちと叩いても、握られた手が放される気配は無い。
キラーは好い加減泣きたい気持ちになって目を瞑った。勿論人気の多いこの廊下でこのような醜態を晒し続けていることも嫌なのだが、何より自分のこんな姿にペンギンが言葉も出ない程引いているのかと思うと、それ以上に気の滅入ることは無かった。
初めて見た瞬間から心を奪われて、以来親しき友人として、時には酷い片思いの相手としてペンギンと共に時間を過ごしてきたが、それも今日までとなってしまうのかと思うといっそ本当に泣いてしまいたいくらいだ。しかし此処で涙を落とせば断絶は決定的なものとなってしまう事が手に取る様に分かっていたので、キラーは零れそうになる涙をぐっと堪えて、空いた手で不本意なスカートの布をぎゅっと握った。
「…………キラー」
「…………えっ、あ、何…………?」
突如名前を呼ばれてキラーが慌てて顔を上げると、何やら酷く困惑したような、決意を固めたような、複雑な表情をしたペンギンが此方を見上げていた。
「…………俺、お前の事好きなのかも」
「…………は?」
フリーズした思考回路が言葉の意味を理解するまで、あと数十秒。
2012.09.08.
ペンギンのローへの敬語を改めました。何だか設定に酷く違和感があったので。