天気職人の憂鬱
ペールブルーの空を仰いで、流れゆく不規則な鱗雲を数えながらつれない秋の香りをすっ、と吸い込む。
風に乗って運ばれ来た金木犀の香はいやに荒んでいるようで、淡い橙の花もそろそろ終わりを迎える頃なのかもしれないと胸中に想う。
視界の端には秋桜の薄紅が揺れて、穏やかな心持に拍車を掛けた。
「学校切っての優等生が河川敷でサボりとは」
くすくすと忍ぶ気も無い笑い声が頭上から降り注いで、ふいと見やるとそこには馴染の顔があった。
「仕事は?」
「今日は昼から。こんなに天気が良いんだ、朝から作業が出来ればずっと効率も良かったろうに」
「何かトラブルでもあったのか」
「さあね。如何にも、親方の都合らしい」
くすんだ白色のつなぎの背には社紋が印されていて、染みついたとりどりの汚れは彼が生きる世界の様々を見せつけるようで。
さもそれが当然であるように真っ白な色をした自分のカッターシャツを見下ろして、キラーはふっ、と息を吐いた。
「お前は?」
「え?」
「授業。サボって良いのか?」
「俺は頭が良いからな」
「嫌味か?」
「勿論」
憮然とした顔をするペンギンに得意げな色を乗せて笑みを送る。
第六感が漠然と、此処に居れば君に会える、そんな予感を齎したのだ、なんて言える筈も無い。
「空が綺麗だからな」
「ああ」
「秋の空は、何処か郷愁を誘うようで俺は少し苦手だが」
「何故?」
「うーん…………」
隣に腰を降ろしたペンギンを気に懸けるような素振りも見せず、キラーは暫し遠くの空を見つめてじっとしていたが、やがて少し首を傾げて言った。
「春の空は始まりを歓迎する様な綺麗なスカイブルーで、夏の空は突き抜けるようなコバルトブルー。冬は凛とした群青を纏う空が秋に見せる少しの曖昧を、俺は恐れているのかもしれない」
「ふうん」
「特に秋の黄昏は、必死で隠しているこの心の隙に入り込んできそうな、そんな橙をしているから、一人で歩く逢魔時には伸びる影から目が離せない。それに涼やかな木枯らしはいつだって俺の臆病を攫おうとしているし、素知らぬふりをして流れる生成りの色をした雲だって俺の味方になってはくれないんだ」
謳う様に呟くキラーの横顔をじっと見て、ペンギンは少しの沈黙の後にぽつりと零した。
「夕暮れなんかに、お前はやらない」
「うん、知ってる」
にこりと笑った横顔が綺麗で、抱えた帽子を深く被って気を取り直す様にペンギンは言う。
「俺は、夏の空が一番好きだ」
「それは、何故?」
「雲の白と空の蒼が示すはっきりとしたコントラストが、あたかも世界を二つに断ち切る境界線の様に、俺の目には映るから」
「…………良く、分からないな」
「お前の生きる世界と俺の生きる世界があれほどまでにくっきりと隔てられていたなら、どんなに良かっただろうと言う話だよ」
「…………」
冗談にも聞こえない声色は憂いを帯びて秋の風と共にキラーの耳朶を打つ。
だから秋は嫌いなんだ、と誰に向けるでもない不満をひっそりと手放して、キラーはむくりと上体を起こした。
「俺はさ、冬の空が一番好きなんだ」
「如何して?」
「漆黒のカーテンを引いた様な夜空を小さな星が彩る様子を見ていると、ペンギンの瞳を覗きこんだ時を思い出す」
「…………寒空の下、いつまでも空を眺めていたのでは身体に障るぞ」
「夜空がこの身を蝕んで、星屑と共に地平の彼方へ流してくれると言うのなら、いっそ本望かも」
「…………本当に、お前って馬鹿な奴」
「偏差値30のペンギンに言われたくは無いなあ」
「う、煩い!」
ぼすん、と振りおろされた腕を紙一重で躱わして、得る筈の衝撃を失って勢いを殺しきれなかった上体が倒れ込む先に滑り込む。
そのままぎゅっと痩身を抱き締めれば、鼻先を埋めた髪から優しい秋の香りがした。
先の見えぬ夕の闇であろうとも、全てを覆う宵の闇であろうとも、それが君と仰ぐ色ならば、
「…………秋の空も、少しは好きになれそうな気がしてきたかな」
「…………心配するな。お前が厭う空なんて、俺が何色にでも塗り替えてやるよ」
「それは頼もしい」
捲り上げたカッターシャツの白い袖が、秋桜色の薄紅に染まってしまえば良いのにと、これほどまでに切に願ったことは無かった。
2012.10.29.